No.001 Last Up Date 2001,5,30

リキテンスタイン展
滋賀県立近代美術館
会期 1998,7,04-8,16
休館 月曜日
料金 00円

 



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リキテンスタイン

 リキテンスタインは早くから版画に関心をもち、1948年に最初のリトグラフを制作しています。50年代はドイツ表現派の影響の色濃い木版やエッチングを手がけ、60年代に入ると漫画や広告を拡大した、よく知られるスタイルのリトグラフやスクリーンプリントを次々と発表します。自らの個展のポスター、仲間と共同出版の版画集紙製のショッピング・バッグなどを制作し、アートを広く大衆のものにしようとしたポップ・アートにとって、版画こそは多くの人の目にふれ、手に届く最良のメディアであることを示したのです。
 ポップ・アートはまた、身の回りを、社会を、そして過去の美術を、新しい視点で見直すものでもありました。70年代からはモネの連作やピカソ、マティスなどを下敷きにした作品により、リキテンスタインは20世紀後半を担う正統派画家の道を歩みはじめます。
 80年代以降、版画技法の円熟とともに、サイズも大型化しますが、『反射シリーズ』や『室内』など、改めて日常のテーマがいっそう親しみとユーモアをもって綴られました。
 本展は、昨年9月に急逝されたリキテンスタイン氏の50年にわたる版画制作を、代表作90点により回顧するものです。」(同展チラシより)

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出品作品

T,ポップ以前:50年代
『母と子』
『二人のスー族インディアン』

U,爆発するポップ・アート:60年代
『オン』
『スプレー缶』
『よい夢でも見ていろ、ベイビー』
『部ラッシュストローク』

V,引用と様式の洗練:70年代
『大聖堂』
『化学による平和』
『雄牛T〜Y』
『エンタブラチュアU.X』

W,ブラッシュストロークの復活:80年代
『金魚鉢』
『仮面』

X,回顧そして新たな展開:90年代
『反射・大泣き』
『壁紙・青い床の室内』
『黄色い枕の裸婦』
『詩人のいる風景』

ほか

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展覧会の趣旨
「リキテンスタインと言えば、日本では、60年代のポップ・アートの代表作が比較的良く知られていますが、初期から最晩年に至るまで、その芸術は多様な展開を示しており、そこには単にポップ・アートという視点では、おさまりきれない一大宇宙が形成されています。」

「リキテンスタインは新しい表現の可能性を追求する過程で版画芸術の重要性に早くから着目し、様々な技法を試みた数少ない現代美術の巨匠の一人でした。」(主催者「あいさつ」より)


展覧会の構成
「本展は、1994年にワシントン、ナショナルギャラリーで開かれ、好評を博したリキテンスタイン版画展を参考に、リキテンスタインの代表的な版画のうち初期から最後の作品に至る約90点を展示することで、この重要なアーティストの芸術の神髄を日本では初めて系統的に紹介するものです。」
(主催者「あいさつ」より)

「アメリカで高い評価を得た同世代の画家の中で、1960年代(この時代は版画工房と共同で制作を行うのが一般的であった)以前に版画の主要な基盤を完成させていたのはリキテンスタインだけである。」

「版画制作においては、たいていの必然的にイメージが反転されるため、リキテンスタインは母型となる版を(多色刷りの場合は複数の版を)反転して制作しなければならなかった。そして彼は、モティーフを木に彫り入れたり、酸で金属にエッチングしたり、油性のクレヨンで石灰岩の石版石に描き入れて、化学的処理を行ってから、それらを紙に転写した。・・・(略)・・・
リキテンスタインが成し遂げたこのようなテクニックを伴う技術は、彼の版画(いくつかのリトグラフを除いて彼自身が制作したもの)に対する実験的なアプローチと共に、若き芸術家であった彼が同時に繊細な職人であったことを示唆している。彼はインクの色を変えて数多くの試し刷りを行い、また白色やクリーム色のみならず、淡いブルーやグリーン、そしてグレーといった様々な色の洋紙や和紙に刷ったが、これらの試みはどれも独特の個性を主張するものとなっている。」

「60年代はまた、非常に奇抜なアイデアを実現できそうな時代でもあった。版画の分野では、ケネス・タイラー、シドニー・B・フェルセン、スタンレー・グリンスタインによって1960年にロサンジェルスで創設された版画制作・出版工房、ジェミナイ(Gemini)G.E.Lにおいて、特にこの風潮が強かった。リキテンスタインは1969年からこのジェミナイ版画工房で制作を始めているが、・・・(略)・・・ジェミナイ版画工房はその時すでに『すべてが可能である』という方針で有名であり、そこは作家が、必要とされる技術的工程のすべての取り扱いに精通した熟練の刷り師たちと共同で作業することが出来る場所であった。彫刻のエディションの制作に対して、職人たちはあらゆるテクニックを駆使して対処することができた。この職人たちの中には、ジェミナイ版画工房のスタッフだけでなく、ロサンジェルス全域ーーーそこは予想できないほど多くの専門技術が要求される映画産業や航空機産業が盛んであるーーーから集まってきた技術者たちも含まれていた。」

「1960年代から1970年代はじめにかけて、リキテンスタインは版画のためのスケッチを、色を個別に上塗りする方法を使って主にインクで描いていたが、その後もこのやり方はほとんど変わらなかった。リキテンスタインはまずイエローページの中の広告印刷物などに基づいて、たいていは鉛筆によって小さなスケッチをこしらえ、そのあと、そのスケッチを何度も転写しながら、ほんのわずかな修正を加えてスケッチを変化させてゆく。この小さなサイズの段階で満足するものができた時、彼はスタジオの壁に鋲で留めた紙の上に、版画の予定される実物大のサイズにデッサンわ拡大して描いてゆく。そして、デッサンを拡大描写したあとも、引き続き彼は細部を修正し、彼の芸術を特徴づけるあの綿密に構成された形態の洗練化を一層進めてゆく。
もちろん60年代には、この洗練の概念によって大衆の関心がリキテンスタインの作品に向けられることはほとんどなかった。事実はまったく逆であった。彼が賞賛された理由は、おもに古典的な視覚の問題に対する彼の外見上の露骨な反発であり、それはただ彼のアプローチの仕方が、当時多くの新しい芸術が辿っていた方向の主流をなしていたからに過ぎない。しかしながら、時が経ち、リキテンスタインがもたらした洗練ーーーそれは漫画のイメージにはじまり、続いて印象派、シュルレアリズム、キュビズム、表現主義、アール・デコ、中国の風景画といったような幅広い主題と様式に対して実践されていったがーーーは彼を、実際に彼の作品の基本的要素を成している偉大なる芸術的伝統の中に位置づけていった。もちろん、そこには皮肉がないわけではない。歴史的伝統に基づいたリキテンスタインの作品が、現実には先に作られた作品のコピーを用いたものであり、その芸術様式そのものに基づいていなかったからである。それは、ヴァルター・ベンヤミンのエッセイのタイトルである『複製技術の時代における芸術作品』の世界を示す格好の例となるであろう。」

「プルーフィング・セッションは作家と刷り師が、最も親密に作業を行う場であり、そこではたとえば母型となる版の作成、刷りの順序の決定、色の改良、細かい部分の修正が行われ、また刷り師たちが版の標準レベルとして使用する試し刷り、いわゆる『最適な刷り』を行う過程も含まれる。シドニー・フェルセンは次のように語っている。

『プルーフィング・セッションは、制作の現場における最もやりがいのあある時間であり、また最も満足感の得られる時間です。それは我々が作家と過ごす名誉を与えられた時間であり、実際のイメージが発展し、決定されてゆく時間です。比較的短い時間の中に、計り知れないほどの緊張、ストレス、英雄的な行為、ドラマ、そして格別の努力が圧縮されています。これこそが創造の瞬間なのです! ジェミナイ版画工房にいた時に味わった最も幸せな思い出の多くが、ロイのプルーフィング・セッションの時に得られました。彼は素晴らしい共同制作者でした。彼は、自らの偉大な芸術とひたむきな仕事への価値観、それに同僚の制作者に対する思いやりによって、我々すべてに情熱とインスピレーションを注ぐ才能を持ちあわせていました。』

決まったスケジュールを頑なに守ることがリキテンスタインのやり方だった。彼は朝早くワークショップにやって来て、5時頃まで一日中制作した(このやり方は彼の絵画のアトリエでも同じであった)。事実、リキテンスタインと共に働いた刷り師たちは皆、彼がいかに非凡な才能をもって組織的に芸術に取り組んでいたか、そして彼が版画制作の工程をいかによく把握していたかを親愛の念をこめてひとつひとつ語り、また、単にそれがおびただしい数の共同制作プロジェクトの経験から選られただけでなく、彼自身が技術的な仕事をすべて処理してきた所期の版画制作の経験から来るものだということを話してくれた。」

「リキテンスタインのアプローチは、ひとつの興味に焦点を置いたシリーズから、別のものを強調したシリーズへと移行せざるを得なかった。それは、抽象的に見えたものから、より具象に焦点を置いた作品への移行である。またそれは適度な簡潔性を備えたものから、とてつもない形態的複雑性を備えた作品への移行であり、かなり真面目な美術史上の先例をもつものと思われるものから、よりユーモラスな効果をもった作品への移行である。」
「意外なことにリキテンスタインの名前は、いまでも彼の所期の表現手段であった漫画のイメージやドット、ストライプと強く関連づけて語られる。しかし彼は、1965年にすでに最初のブラッシュストロークのスクリーンプリント版画[ブラッシュストローク]を完成させていた。そして、その作品では、絵画的なものよりもむしろ版画的なものを暗示させるために図式かがなされ、それにより版画化された絵画形態という皮肉も込められていた。」

「1970年代の終わり頃まで、リキテンスタインは、作品の中により新奇でより手仕事風の『外観』を求めようと努力していた。・・・(略)・・・フェルセンによると、リキテンスタインは『リトグラフのプロセスに、より直接的に関わることを意識的に決意し、また石灰岩やアルミニウム製の版にデッサンを描くかたわら、時間をかけてリトグラフを研究し、学び、また実践したのです。』」

「1997年の秋、突然の早すぎる死を迎える少し前に、リキテンスタインはニューヨーク市のジャン=イブ・ノブレと多数の独立したスクリーンプリント版画を完成させていた。その中で彼は『本のある仮想の室内』に見られるように、これまでで最も多い種類の色を用いた(彼は長年の間に少しずつ色のレパートリーを増やしていった)。これまでの彼の芸術には見られなかったような脈動する空間の複雑性を創造するために、美しい微妙な色の線が、40年以上にわたって支配してきた黒の線に取って代わられた。そして、これはリキテンスタインの意識に中国画特有の空間が深いインパクトを与えたことを物語るものであった。それは確かに何か新しいものへの予感であった。」(『ロイ・リキテンスタインの版画:洗練という芸術』ルース・E・ファイン)

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 同展を訪れたのは、七月十九日の日曜日の朝一番。
さすがに人影はまばら。 他の入場者と言えば、三十代の男性一人、同じく三十代の夫婦、それから、熟年夫婦と若い女性が一人、それくらい。
 大声で話す人もなく、鑑賞条件としては上々・・・ と言いたいところでしたが、上々過ぎるというのも淋しいというもの。もう少し関心を持たれていい展覧会なのにと、逆に、少々残念な思いもしました。

 ちなみに、滋賀県立近代美術館のこの時の開館時間は、九時半で、九時前に着いた私と友人は、一時間近くも待つハメに。開館時間には要注意です。

庭のこと。
 同美術館の周囲には比較的広い空間(公園)があり、展覧会を見終わった後、時間がある時などは、散策することが出来ますし、お弁当を用意すれば、お昼にすることもできます。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
「私は、ピカソの作品を盛んに引用することで、かえって彼の影響力から自由であったと思います」

  同美術館の入口横で、リキテンスタインのインタビュー・ビデオが流されていたのですが、その中で、上記のような意味の言葉がありました。
  字面だけを見ると、すごく傲慢な開き直りの言葉のように読めるかもしれませんが、その時、私が感じたのは、むしろその逆で、そこまで真面目にピカソに向かい合ったのかと。その健気さに胸が詰まる思いがしたのです。
  ヘビに睨まれたカエルなどという言い方がありますが、リキテンスタインという人は、ヘビ(ピカソや他の感動の様々)に魅入られて、身を竦(すく)ませながらも、逃げずに、じっと見つめ返して、ついには、ヘビの鱗の美しさだとか、そういうものを見極めた作家だと形容することが出来るかもしれません。

主催者の「あいさつ」に、

「リキテンスタインと言えば、日本では、60年代のポップ・アートの代表作が比較的良く知られていますが、初期から最晩年に至るまで、その芸術は多様な展開を示しており、そこには単にポップ・アートという視点では、おさまりきれない一大宇宙が形成されています。」

とありますが、鑑賞後、わたしもまさにそんな感想を持ちました。マンガの1カットを題材にしたような作品は、リキテンスタインの格好の目印(宣伝材料)にはなったのでしょうが、本当の彼らしさは、そのためにかえって隠れてしまうことになったのかもしれません。
 本展は、そういう意味で、リキテンスタインという作家をとらえなおすのにうってつけの機会だと思います。

(・・・もっとも、私の観たところ、リキテンスタインらしさとは、「一大宇宙」などというものではなくて、小さな花のようなもので、顔を寄せて静かに目を凝らして、「ああ、ちゃんと咲いてる」とうれしくなるような、そんな感じでしたが・・・)

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展覧会のスケッチ

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