No.003 Last Up Date 2001,5,30

彫刻家の素描展
京都市美術館
会期 1998,7,28-8,23
休館 月曜日
料金 00円

 



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彫刻家の素描展

京都の美術、昨日・きょう・明日」は、「彫刻家の素描」と題して、オーギュスト・ロダンの素描約50点と、ロダン以降の海外、国内の彫刻家の素描、版画作品を中心に展観します。
周知のように、ロダンは彫刻とともに夥しい数の素描を残しています。ロダンの素描は、特定の彫刻作品の下絵、習作としてではなく、彫刻とは別個の独立した存在であることが大きな特色です。
しかし一方、その素描は、手法、対象の捉え方など数々の点において、彼の彫刻と密接に関連しており、弟子ブールデルの言葉にもあるように、それらの素描はロダンの彫刻の結果としてできたものだということもできるでしょう。
彫刻家の素描にはさまざまな種類のものがあります。彫刻に実現されることのない段階のもの、たとえば、対象を描きとどめるメモとしての素描、アイデアの具体化、またはその展開としての素描。さらには素描を自律した一個の表現手段として捉えているもの。
これらの素描を通して、彫刻家のものの見方を探るとともに、三次元的な造形に従事する造形家が、素描や版画という二次元的な表現領域に対してどのように取り組んでいるか、それぞれの彫刻家にとっての素描の役割、意味について探ります。
彫刻家の素描に加えて当館所蔵品の中から、人体表現に主眼をおいた作品を、戦前・戦後の日本画、洋画から約30展を選んで展示いたします。」(同展チラシより)

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出品作品

オーギュスト・ロダン
アリスティード・マイヨール
シャルル・デスピオ
オシップ・ザッキン
アルベルト・ジャコメッティ
マリノ・マリーニ
ヘンリー・ムーア
バーバラ・ヘップワース

高田博厚
柳原義達
堀内正和
佐藤忠良
飯田義國
舟越保武
湯原和夫
井上武吉
若林奮

ほか

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 京都市美術館では、現在、この「彫刻家の素描展」とそれから、「三星堆(中国5000年の謎・驚異の仮面王国展)」の二つの特別展が同時に開催されており、「彫刻家の素描展」は、南玄関(疎水側)からの入場となっています。
 私が訪れたのは、8月1日(土曜日)の4時という時間帯。まだ日が傾くまでには至らず、外を歩くだけでぐったりとするような暑さの時でした。
 当然ながら、人影はほとんどなく、館内ですれ違った観客は、わずかに4,5名。一展示室あたりの観客数は一人という有り様でした。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
 入場料400円が示すように(冗談)、この展示会は大きな規模のものではありません。
「ロダンの素描約50点と・・・」とうたわれているものの、それらの多くは「落書き」、「走り書き」的なもので、一般の方にはちょっと見所がつかみにくい展示会と言えるでしょう。
 私もいつもより、その世界に入り込むのに時間がかかり、思わず「よくわからない」という言葉で、コンタクトすることを止めようかと言う気になったほどです。
 結局、ロダンだけ観ていても今一つピンと来ず、次の展示室のマイヨールなどを観て、「ああ、こういうことかな」と少しとっかかりを掴むことが出来そうな気がしてきて、最後の展示室の竹内栖鳳の下絵を観て、「なるほど」と、ようやくひとつのポイントをつかむことができたというのが正直なところです。
 マイヨールなどとの比較で感じたことは、ロダンは絵を描こうとはしていないということ。他の彫刻家は、少なくとも絵を描くことで何かを探っている、試みていると感じられるのですが、ロダンの場合は、そんな形跡が感じられないのです。
 ロダンの素描から感じられることは、絵に対して何も期待していないないという姿です。ロダンの素描とは、ロダンがいかに彫刻を立体としてイメージし続けたか(平面に置き換えて考えることをしなかったか)の証のようなものだと、わたしにいわせればそういうことになります。
 まったく素描を書かなかったということではなく、むしろひじょうにたくさん描きながら、平面を無視し続けたわけです。紙を使っている時も、目は徹底して立体を見続けた・・・それがロダンの素描の特徴といえるでしょう。
 おそらくロダンという人は、他のどのような彫刻家よりも、立体をダイレクトでイメージし、格闘することの出来た作家なのではないでしょうか。
 この展示会に、何故、竹内栖鳳の下絵が展示されていたのかわかりませんが、栖鳳の、同じ対象を微妙に違う角度から描き分け、ベストアングルを決めようとしている姿勢を見ると、ロダンがいかにそのような視点の問題から離れたところにあったのかということがよくわかりました。
 ロダンの目は、おそらく紙を使っている間も、視点は留まるところを知らず、対象を全方位から注視し続けていたのでしょう。
 ロダンのその視線と素描に比べれば、キュビズムの着眼点、技法などは所詮、平面での工夫に過ぎなかったと思えるくらいです。
 もっとも、好き嫌いで言うと、私もロダンの素描が好きになったわけではありません。興味こそ惹かれましたが、「旨い」と感じるところまでは行きませんでした。

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