No.004 Last Up Date 2001,5,30

三星堆展
京都市美術館
会期 1998,7,28-9,06
休館 月曜日
料金 00円

 



guide 作品 図録 会場風景 感想
 

中国五千年の謎
三星堆展

驚異の仮面王国展「中国の内陸部、長江上流域に広がる四川盆地、1986年、その四川省の省都成都に近い三星堆村で、古代の遺跡が発見されました。三星堆の名は、三つの土盛りがオリオンの星のように並んでいたことに由来しています。遺跡には夥しい数の青銅品、金製品、玉石器などが埋蔵されていました。
目玉が筒状に大きく飛び出した巨大仮面、大胆にデフォルメされた目と耳を持ち、金箔に覆われて沈黙する仮面群、そして高さ2.6メートルにも及ぶこれも奇怪な立人像・・・
次々に発掘される、従来の中国考古学の常識を覆すような謎の造形群は、考古学者をはじめ、さまざまな分野の人たちの関心と想像をかきたてずにはいませんでした。
今から、三千年以上も前、黄河中流域に殷周王朝が栄えたのとほぼ同じころ、長江上流に謎の仮面王国が存在した---発見以来、あらゆる可能性が議論されてきたにもかかわらず、何らかの王国がかの地にたしかに存在したという事実以外に、実証的にはほとんどあきらかにはなっていません。
したがって、いうまでもなく、その歴史的な位置づけはいまだ確定していないのです。けれども、中国大陸における古代の文明は、考えられていた以上に豊かで多元的であったことが知られるようになりました。
これまで、ロンドンの大英博物館などでそのごく一部、数点が紹介されたことがありますが、全体像は秘密のヴェールに包まれたままでした。
本展は総計約250点をもって、世界に先駆けてこの日本で、三星堆遺跡の全貌を紹介するものです。」(同展チラシより)

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出品作品

巨大神樹
立人像
金面人頭像
人頭像
大型縦目仮面
仮面
獣面飾り
人頭鳥身像
神鳥
獣冠人物像

罍(らい)
えん
戈形器

刀形玉器
龍形枕頭

ほか

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「かつて、中国古代文明とは、すなわち『黄河文明』のことに他なりませんでした。黄土大地の上をとうとうと流れる大河、黄河のめぐみを享けて初期農耕がはじまり、仰韶(ぎょうしょう)・龍山と続く新石器文化の発展とともに、やがて夏・殷・周、いわゆる三代の文明が築かれ、その影響が周辺の地に及んだと考えられてきました。文明の光は、中原を核として、放射状に周囲に放たれたとされてきたのです。
こうした中国古代文明の形成と発展についての一元論的な考え方は、もはやまったく成立し得なくなりました。まず、中国各地における多様で豊かな内容をもつ新石器文化の様相が明らかになってきたからです。たとえば、長江下流域では、紀元前五千年紀の河姆渡(かぼと)遺跡が、中流域では前六千年紀の彭頭山遺跡・城背景遺跡などが発見され、稲作農業の起源やそれに関する文化を考える材料が提供されました。また前三千年期における良渚文化や・・・略・・・
しかし、黄河中流域に殷・周という初期王朝が誕生した後にも、なおこれに完全には同化されぬ高度で独自の文化を保持する集団があったことは、三星堆遺跡の二つの坑が発掘されるまでは、あまり強く意識されることはありませんでした。
三星堆の出土遺物に示される文化はそれほど異質であり、また高次のものであるのです。たとえば、祭祀儀礼を執り行うにあたって、青銅器の容器に供物を備えることで対象を祭るか、具体的な神像を用意して祭るかでは、その祭祀意識と背景となる精神文化に大きな差異があったはずです。青銅製の仮面、人頭像、立人像の存在は、そのことを私たちに語りかけています。
殷王朝と三星堆とではそれほどの違いがあったはずですが、両者は没交渉であったのではなく、青銅の容器類や玉器の一部には、きわめて近似するものがあります。また何よりも、青銅を『鍛造』ではなく『鋳造』という方法で一定の形あるものに作り上げる技術そのものは、まったく同根のものであるはずです。これは、これまでの黄河流域の高度な土器作りの延長線上に作られたと考えられています。」(『三星堆・驚異の仮面王国』より一部抜粋。執筆者、稲畑耕一郎氏、岡村秀典氏、除朝龍氏)

「三星堆文明の一般的特徴
三星堆の前期文明
[宗教意識]建物を建てる前に青少年や子供を定礎式の犠牲にして埋める儀式があった。勝仁煉瓦工場跡で発見された同じ向きの犠牲坑が七つあり、坑内には身体が分断されたり、叩き砕かれた犠牲が出土している。

三星堆の前期文明
[青銅遺物と黄金器]
・・・略・・・
三星堆青銅遺物は大量の人物、動物および植物を造形の対象としていることが最大の特徴と言える。人物造形には、人頭像、人面像、仮面、立人像、ひざまずく人物像などがある。人頭像、人面像および仮面は祭祀の対象である先祖や神霊などを表しており、立人像やひざまずく人物像などは祭祀祈祷を行ったり、儀式を司る人間たちを表現している。目玉が前方に飛び出た仮面や顔の偏平な獣面などは、おそらく蜀人たちが崇拝していた自然の神霊だったのかもしれない。植物を造形した神樹などは、蜀人の植物崇拝の宗教意識を反映していると思われる。先祖崇拝や動植物の自然神霊信仰を主体とした宗教観念は蜀国における精神世界の核心になっていたのであろう。
・・・略・・・
{宗教儀式} 1986年夏、祭祀坑が発見されて以来、学界では、その性格をめぐって白熱した議論が展開されてきた。『祭祀坑』という主張に対し、『器物埋納坑』とか『収蔵倉用坑』とか『陪塚』とかさまざまな異論が続出している。遺物の整理・研究の進展と学界の活発な議論を経て、いま次第に大勢は『祭祀坑』に傾きつつあると思う。その理由として、まず、二つの坑から出土した遺物の性質と用途を分析すると、それらは日常生活用品でもなければ一般的な祭祀儀礼用具でもなく、大型神殿などで陳列するための祭祀儀礼用具であった。それから、祭祀坑に埋められた遺物を調べると、同じ坑の遺物の間にも年代の差が大きいことがわかる。こうして、遺物の種類、用途、年代差および同類器の連続関係などの状況から、二つの祭祀坑の出土品は同一国家に属し、時代を前後にした二つの神殿の所有物だったと考えられる。時期の異なる神殿がそれぞれ壊された後、人々は穴を掘って宗教的な重器を埋めてしまった。こうした状況に至らしめた原因は、同一国家支配階級の内部における権力移転、つまり王朝交代が考えられよう。先祖や神々を祭る神殿が破壊された上、祭祀儀礼でもって宗教儀式用具などを焼いて穴に埋葬したというわけである。
・・・略・・・」(『三星堆遺跡と三星堆文明』より一部抜粋。執筆者、陳徳安氏)

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 訪れたのは、八月八日の午後。土曜日でしたが、入場者はさほど多くなく、八分入り程度。
 層としては、四十代から五十代の男性が多かったことと、それから男女のペアが意外に多数みかけらりました。男性がマニアというのか、関心が強くて、それに女性が突き合わされてるという感じなのですが、美術展ではみかけることのない光景でした。
 さて、「奇妙な造形群」を目の当たりにした観客の反応ですが、歓声が上がるわけでもなく、感嘆のため息が漏れるというでもなく、さりとてまったく失望したというのでもなく、戸惑いの表情が多く見受けられました。
 私自身もその一人でしたが、このような博物展の醍醐味の一つは、そのように常識ではすぐには理解できないものに接し、自分の視野や価値観の限られていること、一面的なことを問い直すことにあると言えるかもしれません。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
私が、同展を訪れたのは、中国考古学の常識を覆すような謎の造形群」という触れ込みに惹かれたからです。奇妙な造形が山のようにあるのではないかという期待を抱いたわけです。
ところが、展示されていたのは、ほとんど仮面ばかり。それはそれで独創的な仮面で興味深い物なのですが、そればかりだとさすがに食傷気味になってしまいます(そう言えば、「兵馬傭」の時もそうでした。あれが中国というものでしょうか)。
したがって、鑑賞しながら一番考えさせられたことは、「なぜ、仮面なのか」ということでした。
造形の独創的なことは、「考古学の常識」である殷や周、あるいは、春秋戦国時代の遺物も十分に奇妙です。京都には、「泉屋博古館」という中国古代の青銅器の一大コレクションを所蔵している博物館があるのですが、そこに一時間もいると、かなりおかしな気分にさせられます。
(余談になりますが、日本人に比較的親しまれている「論語」も、ああいった奇妙な器物と同時代のものであったかと思うと、印象が随分違ってくるなと思った経験があります。)
ですから、天の邪鬼な言い方をすれば、そういう奇妙な古代中国の遺物としては、今回の「三星堆」の遺物もそう異質なものではないわけです。「奇妙な造形」が三星堆の専売特許ではなく、「人体や特に顔をモチーフに多用したこと」が、三星堆の特徴なのです。
話が振り出しに戻りました、やはり、今回の展覧会の鍵は、「仮面」にあるのです。 何故、仮面だったのか・・・。

風土についてお話すると、三星堆の地域は盆地で、太平洋からの湿った空気が滞留するためにスモッグがかなり酷いそうです。たまに太陽が顔を覗かせると、三星堆の犬は驚いて吠えるという諺があるくらいのものなんですね。そういう風土的な条件から、太陽崇拝や太陽の象徴として金が崇拝されたという説明はなされていました。それは、もっともな理屈です。
が、仮面については、そういうもっともらしい説明が見出せない。
ちなみに、仮面、仮面と軽く書き連ねてきましたが、半ば以上は、人頭です。人頭があって、人頭の頭頂部のないものがあって、さらに、後頭部のないものがあって、最後のタイプのものが、強いて言えば、仮面と言えなくもないという感じです。素材が青銅であることもあり、どうも人が被るものとは考えにくいというのが、私の素朴な印象です。
つまり、設問は、「なぜ、仮面なのか」というよりも。「なぜ、人面なのか」、「なぜ、人頭なのか」と書き直すほうが、より正確と言えます。

ここで、同展の図録をひもといてみることにします。
解説に目を通すと、やはり様々なことが教えられます。
何故、人体なのかということについては、たとえば、先祖崇拝の念が強かったのだろうというように推定されています。
文章だけを読んでいると、なるほど、なるほどと納得させられます。
しかし、展示物に視線を戻すと、どうもそれは「先祖」のようには感じられません。 パターンというのか、タイプというのか、あまりにも画一的で個性が表現されていないからです。大部分が、高倉健のマスコット人形のようなのですから。
人頭、人面のモチーフは、明らかにワンパターンで、たとえば、「武人」、「英雄」といったものがモティーフにされていると思われます。ウルトラマン兄弟の人形が出土したようなものだと言えば言い過ぎになるかもしれませんが、「先祖崇拝」よりは、そういうイメージのほうがしっくりくる。たとえば、建国の「英雄」を祭り続けたとか。そういう解釈のほうが、まだ納得できる気がします。
ただ、それでも釈然としないのは、高倉健のような人頭、人面は、さっそうとして逞しく、かつ親しみやすく表現されているのですが、「初代の王」とか、「伝説の王様」といった感じではないのですね。権威付けがまったくといっていいほどなされていないのです。もったいぶったようなところが皆無なんです。ということは、つまり、高倉健風の人頭、人面は、主役ではないということでしょう。
それが大量に作られていたことを思うと、かなり人気はあった(大衆の心を掴むのに有効だった?)のでしょうが、高倉健風の人頭、人面がご本尊だとは考えにくいわけです。
では、ご本尊は何か。
会場の想像図では、確か目の飛び出た大型の獣面が上座に据えられていました(特にそのことについての説明はありませんでしたが、その獣面がご本尊だと推定される何か根拠があるのかもしれません。)
が、私の感覚では、その獣面も、どうも一番の別格であるようには思えない。会場に展示されていた青銅像としては他に、神樹や長身の立像がありますが、私の感覚では、どうもそのいずれも一番の別格のようには感じられなかったのです。
ここでちょっと補足しておきますが、人頭、人面の大半は高倉健タイプなんですが、長身の立像だけが、表情がちょっと違うんですね。目鼻立ちは、高倉健タイプ同様なんですが、表情が違う。おおらかさ、親しみやすさが表れてなくて、緊張した面持ちなんです。選手宣誓をするスポーツ選手のような感じと言えばよいでしょうか。そういえば、頭に何かを被っているのも権威付けのようですし。この立像だけが、他の人頭に比べて別格であることは想像できます。
ただし、その立像にしても、臣民を見下ろす感じで立っているかというと、そうは見えないんです。むしろ、仲間を代表して、偉大なる何かに何かを捧げ持って拝しているというような感じなんです。
そう、あれこれとご本尊探しを行ってきましたが、人頭にしろ、獣面にしろ、神樹にしろ、青銅像はいずれも祭祀には使われ、崇拝の対象ではあったけれども、メインではない・・・、もしかしたら、三星堆の宗教は二重構造ではなかったのかと、そんな風に思えてきたのです。
日本の政治でお馴染みの、「二重構造」です。一番の権力者が総理大臣になることは、めったにないというアレです。
おそらく、三星堆の当時の権力者グループも人気がなかったのではないでしょうか。権力は確かに握っていても、自分たちが前面に出ると都合が悪い面があったのではないか。だから、人気のある青銅像を前面に出しておいて、自分たち(つまり、ご本尊)はその背後に位置すると。高倉健タイプの人頭・人面や獣面などの青銅が、一応は奉られているけれども、決して最上位ではないというのは、そういうことではないのか。
はじめにもお断りしましたように、これは遺物の観察からの素人の勝手な想像ですが、ただ、そう仮定するとですね、いくつかのことが説明できるような気がするのです。
たとえば、「素朴で逞しい人物像」、「獣面」、「神樹」と青銅像の三つのパターンを並べて見ましょう。
その三つを、先住民、野生動物、原生林と言い換えるならば、いかがでしょうか? それらはいずれも滅ぼされた者たちだということにはならないでしょうか。
三星堆に侵略してきた部族が、被征服民の心を鎮めるために、それらの青銅像を使って、滅ぼされたものを祀る儀式を執り行ったとは考えられないでしょうか。

侵略者とは誰か。ついでに想像するならば、侵略者とは三星堆とは違う文化圏の者たちで、且つ、高度な青銅の鋳造技術を保有していた者たちです。となると、黄河中流域で覇を唱えていた夏・殷・周が一番に浮かびます。
三星堆文化圏とは、夏・殷・周から独立した別系統の文化圏などではなく、夏・殷・周がいったん占領した後、独自に植民地文化を発展させた地域だったのではなかったか、ということも想像されるわけです。
ちなみに、先程ご本尊のほうは、人気がないので前面に出すことが出来なかったと言いましたが、ご本尊がもし、夏・殷・周の者たちであるとすれば、それはいささか穿った見方だということになるかもしれません。神殿の最奥部に祭られていたご本尊は、少数出土している夏・殷・周と同じ形式の「尊」や「ライ」であったかもしれないからです。
それに、夏・殷・周には、人頭や人体像を作る習慣(宗教意識)がなかったからこそ、被征服民の像を作ったり飾ったりすることにも抵抗がなかったとも言えるかもしれません。

以上、展示されていた発掘品の印象から、謎の三星堆は、夏・殷・周の植民地が独自に発展したものという推理を行ったわけですが、いかがでしょうか。

いわやん(京都)2(ニフティサーブのフォーラムについたREを受けて)仮面の「複製」の側面


>何故かこの仮面に作者の思い入れとか、愛情を殆ど感じないのです。
>例えば仏像は仏教上のお約束を踏まえた上での同じポーズでも、
>それぞれに創意工夫があり、同じと感じるものはありません。

>愛情とか、拘りを持っているものには、微妙な違いが大きな違いと感じられ、
>その違いを強調したいと考えるのは共通なことのように思います。

>三星堆の仮面は微妙な違いがあると言ってもその違いは個々を差別化するほどの
>違いではなく、仮面の区別は殆どつかず、私にはどれも同じものに見えてしまいます。
>それはひょっとしたら、作者は対象に対して殆ど愛情を持っていないのではないか、
>と思いました。

>その様に考えた後、岩槻さんの三星堆展の仮面は滅ぼされた者たちではないか、
>という説を再読しますと妙に説得力があるように思いました。


コメント、ありがとうございました。
そもそも三好さんの感想に端を発して、自分の感想を書いたのでしたが、三好さんの内容とほとんどリンクせず、また、「言いっぱなし」になっているなという気も自分なりにしていて、ちょっときまりの悪い気がしていたのです。救われました。


最初、冒頭に引用させていただいたミルクバンズさんのコメントを一読した時、実は、ちょっと困った気がしました。
「妙に説得力があるように思いました。」と共感していただいたのはうれしいけれども、三星堆の仮面については、「作者は対象に対して殆ど愛情を持っていない」と受け止められており、その点、自分の印象とは異なると思えたからです。
私が感じたところでは、三星堆の仮面には親しみがこめられており、用途としても、おそらく人々の愛すべき存在であったのだろうと、そんな風に思えていましたから。

さて、困ったものだというか、人それぞれ感じ方が本当にそれぞれなんだなと、しばらくよるべのない思いにとらわれたりしたわけですが、

ごろっと横になって、もう一度、三星堆展のことを思い出してその時の印象を反芻しているうちに、ふと、みやげ物のことが浮かびました。
住んでいるのが銀閣寺の近くなもので、よく通るその門前のみやげ物店街の光景が浮かんだのですが、そこに並べられているみやげ物の人形は、愛嬌たっぷりに作られていますが、同時にそのまったく逆の冷ややかさも併せ持っています。
愛嬌たっぷりなものにしようとする作為や、あるいは、量産品、複製品の無機質さというような性質があるわけです。あるいは・・・、三星堆の仮面についても、そういうことがあったのかもしれない、と思い当たりました。

つまり、ミルクバンズさんは、後者の面を強く感じられ、私はといえば無邪気に、高倉健みたいでカッコ良いと、その表面を額面通りに受け取っていたのではないかということですね。

(現在、「美学・芸術学」の会議室で『複製技術時代の芸術』の読書会が進められていますが、三星堆のようなはるか古代においても、「複製芸術」の問題があったということでしょうか。『複製技術時代の芸術』の読書会については、無学な私には敷居が高かったのですが、あらためて目を通してみようと思います。きっかけをもらったので、少しは理解が進むか・・・)

そう思うと、ミルクバンズさんの「仏像」のたとえもよくわかる気がしてきます。
そこで言われている「仏像」は、本物の仏像のことで、一品物の仏像のことで、門前のみやげ物店で売られている型物のことなど、含められてはいないでしょうから。

そして(牽強付会になるかな)、もしそうだとすると、ミルクバンズさんの感じたことと自分の感じたことは対立しません。
双方の印象とも、侵略者が、先住者を慰撫するために、それらの像をたくさん作った(作らせた)のではないかという想像につながる要素があるからです。
そうしてみると、「妙に説得力があるように思いました。」は、必ずしも「異床同夢」ではないということになるのですが、いかがでしょうか。


順序が後先になりましたが、それと、三好さんの感想との関係についてミルクバンズさんが、

>また、私は書の楷書は既存の権力に反発する力を含んでいると考えているので
>三好さんの三星堆展の仮面は楷書に似ているという感想も納得いくものでした。

と、指摘していただいたこともうれしく思っています。おかげで、自分でもよくわからなかった関連性に気づくことが出来ました。

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