No.007 Last Up Date 2001,5,30

ユトリロ展
美術館「えき」KYOTO
会期 1998,9,11-10,19
休館
料金 900円

 



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ユトリロ展

よみがえる、パリの哀愁モーリス・ユトリロ(1883-1955)は、モデル兼女優画家だったシュザンヌ・ヴァラドンをモデルとして、パリのモンマルトルに生まれました。自由奔放に生きる母親のもと、ユトリロは若い頃からアルコールに溺れますが、はじめはその対症療法として、絵筆を握るようになります。
今世紀初頭、重く暗い色調でパリやその周辺の風景を描いた初期「モンマニー時代」から、第一次世界大戦前後、白を基調とした重厚なマチエールでモンマルトルの街路や教会を描き出した「白の時代」、さらにそれに続く豊潤な「色彩の時代」に至るまで、ユトリロは終生いずれの芸術思潮にも片寄ることなく、独自の表現世界を築き上げていきました。
孤独と不安にかげる心の内が投影されたようなその作品には、素朴な詩情と郷愁が漂い、時代や国境を越えて今もなお多くの人々を魅了してやみません。
今回の展覧会ではモーリス・ユトリロ協会名誉会長であるジャン・ファブリス氏の監修のもと、国内未公開作品を数多く含む油彩77点、水彩等16点を厳選して展示し、ユトリロの初期から晩年に至る画業の展開をご紹介します。」(同展チラシより)

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出品作品

通り
ラパン・アジル
モンマルトルの通り
モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット
小塔のあるホテル、モン=スニ通り
モンマルトルのテルトル広場
ロワイヤンのノートル=ダム教会

ほか

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訪れたのは、9月14日の正午。平日にも関わらず、会場はほぼ満員(一枚の絵に、二人くらいの観客)。客層も、若年層から高齢者層まで幅広く、あらためて日本におけるユトリロ人気の根強さを思い知った。
じっくりと観賞したいという人は、出来れば休日は避けたほうが良い。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
まとまった数のユトリロの作品を観るのは、今回がはじめてでした。
幼い頃から、その名を冠した喫茶店が近くにあったり、雑誌などでもその名を目にする機会があり、もっとも早期に名前を覚えた画家の一人であったのですが、本格的に遭遇する機会がなかったのです。
いや、美術に関心を持ち始めた時分(学生の頃)から30を越える時期まで、美術全集に収録されるような画家については、一通り注目しましたが、ユトリロについては、何となくふれずに来ました。佐伯祐三の街角の風景には目がとまっても、画集で見かけたユトリロには今ひとつ惹きつけられることがなかった。
ただ、それでいながら、何となく郷愁めいたものは感じるという、私にとって、ユトリロは長くそんな存在だったのです。
ところが、いよいよ実物の作品に接し、あるいは、三十代も半ばになった年齢のせいか、今回、ユトリロはとても自然に私の感覚に響いてきました。
一見、平凡そうに見える作風のその内側が、一つ一つなぞれる気がしたのです。あまりに身近に感じられたため、語るべき言葉がかえって見当たらないくらいですが、少しずつ今の思いを撚り合わせてみます。

ユトリロについて語られる場合、まず持ち出されるのは、母親バラドンのことです。女性の自由がまだ著しく制限されていた時代にあって、しかも貧しいながら画家として活動しようとした女性。女性として魅力的で、ドガやロートレックなどと関係を持ちながら、幸せな結婚、家庭には恵まれず、おそらく内面的にも波乱が絶えることのなかった人生。そんな母親のもとで、ユトリロは幼い頃より、かなりの精神的な圧迫を受けます。愛情に飢え、若くしてアルコールに溺れ、その心の不安定を酒と絵でかろうじてバランスさせるという構図は、生涯、変わることはなかった、と。そのように語られることが多いわけです。
おそらくそれが事実でしょう。
ただ、そこで見逃してはならないのは、ユトリロの絵には生涯を通して優しさのようなものが漂っているということです。困難な状況が続く中で、歳を経るにしたがって、絵が暖かなもの、穏やかなものへと変化していったという点です。
ある意味では、芸術家の多くは、何らかの逆境を経験しています。芸術家には、人並み外れた感受性の豊かさと、そして、特別な体験とのその両方が不可欠の要素だといっても過言ではないくらいです。
しかし、絶望するような苦難を経験したという点では共通していても、その後に描き上げられる作品は様々となります。傷口をさらに抉るような画を描いた画家もいれば、鬱憤を晴らすような画を描いた画家もいる。あるいは、心が死んでしまったかのように覚めた視線で画を描くようになった画家もいるわけです。ところが、ユトリロはああいう行き方をした。そこを見る必要があると思うのです。
酒を飲んで暴れたというエピソードはありますから、酒を飲むことで鬱憤を晴らしたり、あるいは、自分をさらに傷つけようとすることはあったのでしょう。しかし、画について見るならば、実に優しい。
初期の「重く暗い色調の時代」(「モンマニー時代」)でさえも、そこには画家の淋しさは感じられても、他者を呪ったり、自分の悲しみを観る者にわからせようとするかのような攻撃性は感じられません。
人によっては、特に、若者にとっては、そこが飽き足りないところになるのでしょうが、ユトリロはそうなのです。それがユトリロなのです。
後年のユトリロの絵は、観光名所の絵葉書のようになったと酷評されることがありますが、その時期の絵にも、エネルギーの衰えのようなものは感じられても、決して、覚めた感情、皮肉めいた意識、あるいは、媚びが感じられない。むしろ、多くの人が好むであろう調子の画を描くことに何のためらいも感じない姿をそこに感じます。このような例は、そうはあるものではありません。
母親バラドンを敢えて引き合いに出すならば、魅力的で自我が強く他者への影響力が強かったバラドン、奔放でありながら絶えず満たされぬ思いにも苛まれていたバラドン、そんな母親の傍らで、ユトリロは、あるがままを愛することを学んだのかもしれません。
実に問題の多い母親に対し、傷つけられることは始終で、憎んだり、軽蔑したりもしたけれども、しかし、愛する気持ちが最後まで消えることがなかった。結局、何も出来ない。何も変えられない。でも、愛している。それでいいんじゃないかと。そういう感覚が、ユトリロの画を形作ったように思います。傍らにいて、やさしく見まもるかのような空気、それがユトリロの画の心地よさであり、見まもることしか出来ることはないという、その背後の思いが、余韻となって心に残り続けるのではないかと、そんな風に思われてなりません。

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展覧会のスケッチ

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