No.012 Last Up Date 2001,5,30

南蛮美術名品展、山下摩起展
同時開催
有馬の名宝
神戸市立博物館
会期 1998,9,26-11,28
休館 月曜日
料金 800円

 



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有馬の名宝蘇生と遊興の文化
有馬の名宝

日本最古の歴史を誇る有馬温泉には、古来から多くの人々が訪れ、豊かな文化が育まれてきました。古代・中世では、行基・仁西などの高僧が温泉の発展に尽力しました。
近年の発掘調査で、有馬と太閤秀吉との強い結びつきが注目されています。秀吉は有馬温泉に何度も足を運び、千利休とともに茶会を催し、また慶長大地震で被災した有馬温泉の復興事業にも着手しています。
本展では、有馬の歴史と文化を、秀吉と有馬とのつながりを中心に、里帰りの資料、有馬を訪れた人々の資料なども交えて紹介します。」(同展チラシより)

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出品作品

薬師如来座像及台座(福源寺)
釈迦十六善神図(龍雲院)
湯山三吟懐紙(兵衛向陽閣)
豊臣秀吉画稿(逸翁美術館)
高台院像(高台寺)
南山寿図 森琴石筆(中之坊)
山海見立相模摂津有馬山 二代歌川広重画(神戸市立博物館)
有馬茶会記(五島美術館)

ほか

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同展を訪れたのは、10月2日の正午。平日ではあったが、入館者がまったく途切れるような間はなく、広い館内に三分入りといった状態。
客層は、平日の展覧会の例にもれず、中高年の女性、シニア夫妻といったところだが、少し異なったのは、学生の姿が見当たらなかったことと、重役然とした熟年男性の姿が見られたこと、そして、中高年の女性もグループではなく単独での来館が多かったということ。このあたり、展覧会の内容と会場である神戸市立博物館の性格がやはり反映されたとみられる。しぶい、地味といったイメージが強いのだろう。実際、内容もそうだったが・・・
ただ、同館の場合は博物館であるので、当然ながら常設展示もある。
例によって、古代の遺物やら、中世の資料が並べられているわけだが、光を放っていたのは、近代の輸入された西洋文化の展示(異人館の内部のような感じ)があったことで、これには可能性が感じられた。
現在の展示は、古代の遺物やら、中世の資料やらすべて均等に展示されているだけだが、思い切って、この近代の輸入西洋文化に重点を置いた展示構成をとるならば、同館のイメージは一新し、若者にとっても注目されるスポットの一つになるだろう。テーマパークっぽい発想だが、そういうやり方のほうが、神戸らしいとも思う。ともかくある程度の来観者が確保できなければ、質も何も言えたものではないのだから。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
展示物、展示の構成、いずれも今一つといったところで、特に関心のある人でもない限りは、退屈な展覧会となるのではないか。
個人的には、秀吉が頻繁に有馬を訪れていたこと、重要な茶会も開かれていたこと、あるいは、行基などの僧の介在等々、はじめて知ることで、温泉、湯治文化の存在、潜在的可能性の大きさについて興味ひかれた。
現在でも、ある種の重要な会合は一等の保養地で開かれているそうだし、一等の保養地で、要人の出会いがしばしば生まれることは容易に想像できる。日常のしがらみから離れた場所、時間で、それまでの流れを変えるようなきっかけがもたらされたことは、数多くあったに違いない。そこで行われた会話、転機などが資料として残されることは逆にきわめて少ないのだろうが、資料が乏しいからといって、軽視して良いというものでもないだろう。今後の研究やあるいは、歴史小説などでこの部分がもっと取り上げられることが期待された。
はじめに「退屈な展覧会」と述べたが、この原因もその辺りにあるのではないだろうか。すなわち、歴史的に重要な出来事、興味深いドラマがこの有馬の地で幾つもあったということがおそらく一番のポイントであるのに、「でも、資料はごく僅かしかありません。これで我慢してください・・・」というような消極的な構成にとどまったことがこの展覧会の敗因になったと思われるのである。資料が僅かしかないということは、専門家にとってはわかりきったことのはずであり、だからこそ、そこに光があてられることが少なかったのであろう。ならば、資料の不足を補う工夫を考えるべきではなかったか。
たとえば、フィクション(想像、仮説)を織り交ぜるという方法もあって良いのではないか。資料が「点」でしか存在しないならば、それを星座とする「結び方」を提示する親切があっても良かったのではないかということである。簡単ではないが、たとえば、国立民俗学博物館の積極的な姿勢などは、気持ちは汲み取れる。手法として必ずしも成功しているとは思えないが、伝えようとする気持ちは伝わってくる。その一点において、来観者はおそらくたとえ期待外れでも、少なくとも「退屈だった」とは言わないだろう。

ちなみに、有馬出身の画家ということで、森琴石と山下摩起という二人の画家が紹介されていたが、この二人の作品を拝見し少し考えさせられた。両名の技量とも非凡ではなかったからである。両者を一緒にして評するのもなんだが、両者とも、足りなかったものがあるとすれば、おそらく絵以外の部分ではなかったかと、そんな気がしたのである。
よく一番大事なのは精神性だとか、人間性だとか、あるいは、この作家には広がりがないというようなことが言われる。さしづめ、この両名の作家などはまさにそのようなニュアンスで世のフルイにかけられたと思われたのだが、私がその時抱いた感想は、「それも悪くはないな」ということである。
その時代の美術全集に収録されるような名声や特徴がなくとも、それはそれ。これはこれである。野には、コンテストには無縁の花が幾つも咲いている。だが、行きずりに見る人は、そこで強いて欠点を探したりはしないだろう。花をそこにみとめて一瞬、心をなごませるだけである。いわばそういう絵もあり、そういう「野」でしか出会えぬ絵がたくさんある・・・。もっと、「野」も歩かねば、自問した次第。

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展覧会のスケッチ

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