No.042 Last Up Date 2001,6,08

migishi.jpg (12411 バイト)
三岸節子展
大丸梅田店
会期 1999,1,19-1,31
休館 月曜日
料金 800円

 



guide
 

パリ展帰国記念
三岸節子展

 1905年、愛知県尾西市の大地主の四女として生まれた三岸節子。彼女は、女子美術大学時代に出会った新進の鬼才三岸好太郎と、親の反対を押し切って結婚。1925年には、第3回春陽会展に女性としてはじめて入選を果たしました。しかし、その後好太郎は旅先の名古屋で急逝。その頃一般に油絵の商品価値はほとんどなく、貧困の中で3人の子供を育てることとなります。
 1951年に芸術選奨文部大臣賞を受賞。女性画家の先駆者として苦難な道を切り開いてきた彼女は、ようやくその地位を不動のものとしました。
 1968年には、63歳にして南仏地中海岸のカーニュに移住。「自分の老いにカツを入れたい気持ち」からのことだったと言います。彼女の作品は、パリにおいても高い評価を獲得。地中海の強烈な光きらめく原色の氾濫。そして美しさへの衝動。彼女自身も多くの収穫を得て、1989年に帰国しています。1991年、日本の女性画家としては初めて、アメリカ・ワシントン女性芸術美術館で回顧展を開催。多くの感銘を与え、その活動は世界的にも大きく評価されています。
 本展は、三岸節子画伯がフランスから日本に戻り、10年目の節目の年に画伯ゆかりのパリで開幕した展覧会の帰国展です。油彩約70点で構成された三岸画伯の足跡。その巨大な情熱。生命の炎というべき作品をどうぞご鑑賞ください。」(同展チラシより)

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作品
 

出品作品

火の山にて飛ぶ鳥
雲と海の対話
ヴェネチアの画家の家
白い街
さいたさいたさくらがさいた
太陽賛歌(山はくれない)
鳥と少年

ほか

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会場風景
 
 訪れたのは、1月21日の午後。混雑を避けて平日を選んだのですが、会場は八分入りの盛況。全体の三分の二近くが中高年の女性でした。
 しかも、ほとんどが三岸節子のことを知ってきているという様子で、作家の女性ファンの多さ、熱心さに驚かされました。会場でささやかれる言葉も、称賛がほとんど。
 それから、描かれているフランスの場所についての会話もしばしば聞こえてきました。あそこへわたしも行ったのよ・・・ちょうど・・・でね・・・みたいな。

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感想
 

ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
 わたしも、入館してしばらくは、すばらしいと、来てよかったと、鑑賞を堪能していたのですが、しばらく見ているうちに、まとまりのよさというのか、センス良く処理され過ぎている・・・という思いがつよまってきました。
 思い浮かんだのは、堂本印象です。彼は、日本の古典的な絵画から近現代の表現主義的絵画、抽象画までいわばデザイン的にこなした作家ではないのかと、そういう感想をわたしは持っているのですが、今回、三岸にもその匂いを感じたのです。
 三岸の場合は、堂本のようにさまざまなスタイルに遊ぶということはせず、ひとつのものを追求しているようですが、それでもややキレイ過ぎる・・・・。
 つまり、模索や葛藤よりも、仕上げることへの関心が強いのではないのかといった気がしてきたのです。
 渡仏以前の作品を見る機会があれば、さらに考えてゆきたいと思いました。

 あと、いささか余談になりますが・・・
 フランスの各所を題材にしているというところが、かえって今の中高年の女性の一部に共感を呼んでいるということが、おもしろく思われました。
 日本の風景でもなければ、生活を描いたものでもなく、欧米の観光地にこそ強く感情移入されるようなんですね。一生に数度の旅行に、熱い思いがあるという・・・。
 あるいは、江戸時代の東海道五十三次を描いた絵も、当時、そういった意味合いでのニーズがあったのでしょうか。

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展覧会のスケッチ

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