No.040 Last Up Date 2001,6,10

nga.jpg (13066 バイト)
世界に誇る美の殿堂
ワシントン・ナショナル
・ギャラリー展
京都市美術館
会期 1999,1,30-4,04
休館 月曜日
料金 1200円

 



guide
 

世界に誇る美の殿堂
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

 ワシントン・ナショナル・ギャラリー(略称NGA)は、メトロポリタン美術館やボストン美術館などとならぶ米国最上級のコレクションを誇る美術館です。
 ワシントンD.Cの中心部に位置する同ギャラリーは、鉄鋼、石油、金融などの巨大財閥の総帥であり、財務長官なども務めたアンドリュー・メロン(1855〜1937)の全面的援助により、1941年に完成しました。そのコレクションは現在でも美術館の中核を成しています。
 その後、米国の富の象徴とも言える数々の美術コレクターから寄贈を受け、半世紀の間に、パリのルーブル美術館に並び称される、世界屈指のコレクションを形成するに至りました。
 このたび、印象派絵画を展示している西館の改修工事にともない、日本初の『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』として空前の規模の貸し出しが実現しました。コローやマネをはじめ、モネ、ルノワール、ピサロ、セザンヌなど印象派の巨匠たちの第一級の名画77点が一堂に公開されます。
 また、今回、同ギャラリーの特別な計らいにより、フェルメールの油彩「手紙を書く女性」をはじめ、ティツアーノ、エル・グレコなど、16世紀から18世紀までのオールドマスターたちの傑作8点も出品されます。
 特に、世界に30数点しか確認されていないフェルメールの作品は所蔵美術館外に出品されることがほとんどない美術愛好家の垂唾の的となったおり、日本では実に12年ぶりの公開となります。
 アメリカの栄光と威信が創り上げた、ワシントン・ナショナル・ギャラリーのコレクションをじっくりとお楽しみください。」(同展チラシより)

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作品
 

出品作品

『手紙を書く女性』
フェルメール
『日傘の女性 モネ婦人と息子』
『太鼓橋』
モネ
『髪を編む若い女性』
ルノワール
『プロヴゥンス地方のアルルの農園』
ゴッホ
『ヴィル・ダヴレー』
コロー
『悲劇役者(ハムレットに扮するルヴィエール)』
マネ

ほか

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会場風景
 
 訪れたのは、2月12日の朝方。混雑を避けようとしたわけですが、さすがに人影は少なく、5分入り程度。お昼近くになって7分入りといったところ。
 客層としては、年配の人だけでなく、学生や比較的若い女性の姿が目立ちました。
 集客力では、立地の良いデパートに太刀打ち出来ないと言われている美術館ですが、学生や二十代の層に限ってみた場合、美術館もあまり負けていないのではないかという気がしました(もちろん、展覧会の内容によりますが)。
 展示作品のほうは、感じとしては7割方以上、印象派で、さすがにちょっと偏り過ぎのような気がしました。
 印象派を目玉にするという作戦はあってもいいと思いますが、印象派だけでやってしまうと、いつまでたっても別の作品に関心をもってもらえないのではないのか。いつまでたっても、印象派をやり続けなくてはならないのではないのかと、危惧されたきした。
 フェルメールにさえ、特別の関心を寄せていた観客は、全体の四分の一もあったかどうかというありさまでした。

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感想
 

ご感想などお寄せください。

いわやん(京都)
 ワシントン・ナショナルー・ギャラリーとは、印象派の美術館なのか。世界の名画の中心は、やはり印象はなのかと、錯覚させられるような、印象派に偏った展覧会でした。個人的には印象派ファンなのですが、ここまでくると、疑問を感じざるを得ません。
 そんなわだかまりを見事に吹き飛ばしてくれたのが、会場、最後のパートに展示されていたフェルメールでした。

フェルメールについて
 私は、実物を見るのは今回がはじめてだったのですが、ひとめ見て、絶句。帰り際に、もう一度、見直して鳥肌・・・。なごり惜しさから、もう一度、見ることにして、こみあげてくるもので胸がいっぱいになりました。
 もうほとんど生きていて良かったというような思いでした。この日、この瞬間に、この状態で作品に出会うことが出来て良かったと、これまでの特にここ数年の、不本意な状況(己の行動)の連続もすべて、この一点と引き換えのものなら、しかたがないと、そんなことを思ったくらいに、実に良かったのです。
 現存するすべてのフェルメールを見るために各国を旅行する人がいるとか・・・話には聞いていましたが、さもありなんです。

 フェルメールの作品について語られる場合、ライティングの巧みさが取り上げられることが多いようです。しかし、フェルメールにおけるそれは、通常いわれるところのそれではありません。
 ライティングとは元来、劇的な効果を演出するために考案されたもので、ライティングといえば平板な印象になることを避けるための工夫である場合が普通であったように思いますが、フェルーメールにおけるライティングとは、その点、まったく対照的なほどに異なるのですね。
 この作品(『手紙を書く女性』)における光は、日常の何気なさを浮かび上がらせるために使われているのです。ドラマチックな場面をつくって、物語や人の内面を浮かび上がらせるということではなくて、何気ない日常、人間の平静を照らすために光が使われているのですね。こんなライティングは他に思い当たりません。
 光があたってる人物の存在感がむしろ希薄なんですよ。絵の中の女性は、微笑んでいます。しかし、実体は希薄なのです。
 この絵に描かれている女性は過去の幻影か追憶なのか。あるいは、余命いくばくもない、生命の火が消えかけた人物なのか・・・そんなふうにも見えるくらいはかなく描かれているのですが、そう見てしまうのは、ドラマチックな演出手法に馴らされているが故の錯覚というもので、たぶんそうではない。ありふれた日常の、何事もない平常のおだやかな心、空気といったものが、実はどれだけはかないものであるのかということを、フェルメールは描きたかったと思うのです。
 人は、何も特別な状況下でのみ本性があらわれるというものではなく、平常の平静の状態で現れる本性もあるのだ・・・そして、そこにも神秘があり、魅力があり、わたしはそれを愛する・・・フェルメールのそんなつぶやきが聞こえてきそうでした。

 今回の展覧会には名作が幾つか展示されていますが、とくにフェルメールは必見です。

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展覧会のスケッチ

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