ドイツ・ロマン派絵画展
フリードリヒとその周辺
Last Update : 1999,04
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「ドイツ・ロマン派絵画展 フリードリヒとその周辺 神秘的世界への誘い ギリシア・ローマ時代の美術を絶対とし模倣し続けた古典主義に対し、人間の持つ感情や社会的事件さえも美の対象として扱ったロマン主義芸術が、イギリスやドイツをはじめ、ヨーロッパ全土へと広まったのは19世紀初頭のことです。歴史や物語、異国情緒や宗教感を合わせ持つロマン主義絵画は、当時の文学や哲学思想の影響を受け、理想的風景や神話、宗教を画題に、崇高な精神世界を描いています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戻る |
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テオドール・レーオポルト・ヴェラー カール・グスタフ・カールス アードルフ・ゼンフ ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール グスタフ・アードルフ・ヘニヒ モーリツ・フォン・シュヴィント 他 |
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訪れたのは、3月22日の午後。朝からの強風と時折雪が舞うという悪天候のためか、休日にも関わらず観客の数は5分入り程度。主催者には同情されるが、ゆっくり鑑賞するにはちょうどよい状態だった。 客層は、年配の人が少なく、若い女性、カップルが過半を占めていた。年配の人が少なかったのは、やはり天候のせいかもしれない。 観客の鑑賞の様子は概して真面目で、一点一点にゆっくりと時間をかけて見入る姿が多く、私語もほとんどなく聞かれなかった(同じ奈良で、昨年の秋に開かれた印象派の展覧会では、うんちくを傾ける姿が多かったのですが・・・)。
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いわやん(京都) ロマン派というのは、主題については、ものすごく考えているようです。神話や社会的な事件など、いろいろ物色し構成を工夫している。しかしその反面、絵画の技法となると、現代の目からすると、あまり工夫がなかったように思えるわけです。 ところが、今回、見ていると、一見、保守的と見える技法が、内に工夫が充填されていて、ちょうど今の季節のつぼみや新芽のように、飛躍寸前であるような感を受けました。 何と言うのか、おそらく画家はほとんど意識していなっただろうけれども、画家の手が新しい表現を勝手に模索し始めていたと、そんなふうに感じられたのです。 画家が、聖書やら神話のことをあれこれと考えているうちに、画家の手は手のほうで、与えられた枠の中で懸命によりふさわしい技法を模索していたようなのです。 よりふさわしいもの・・・。その時代と、そして絵画にとっての自由、表現の自由というものを、画家の手はいち早く見据えていたのではないかと。そんなことが思われました。 印象派以降の、近現代芸術が、百花繚乱の花だとすると、ロマン派は、新芽、つぼみにたとえられるかもしれないということですが、してみると、この時代にあったつぼみのすべてが開花したのかどうか、いささか気になります。 中には、近現代に発芽、開花しなかったものもありそうですが、あるとしたら、何故それらは開花しなかったのか。 この展覧会には、そんな何かを探してみる楽しみもあると思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戻る |
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