No.114 Last Up Date 2000,2,22


2000,3,16〜3,28

奥村土牛展

大丸ミュージアムKYOTO

111

  URL
  休館日
 一般¥700/高大生¥500 料金

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 展覧会のスケッチ

 



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生誕110年

奥村土牛展

 1889(明治22)年2月、東京の京橋に生まれた奥村土牛は、16歳で梶田半古に師事、半古が没した後は、兄弟子の小林古径の厳しい指導のもとに研鑚を積み、堅実にその才能を開花させました。
 38歳で院展に初入選を果たし、以来院展一筋に歩み、43歳で同人に推挙されました。まさに雅号『土牛』の由来となった『土牛石田を耕す』の詩句通り、粘りと奮闘によって日本画史を飾る代表作を発表し続けました。
 また、その間数々の美術展の審査員をつとめるとともに、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)や東京美術学校(現・東京芸術大学)で後進の指導にもあたり、1947年に芸術院会員、1962年には文化勲章を受章。その存在は名実とともに日本画壇の精神的支柱となり、1990年(平成2)年9月に101歳の長寿を全うするまで、現役作家として活躍しました。
 本展は的確で軽妙な筆致による鋭い自然描写と、簡潔で硬質な叙情の土牛芸術の神髄を約70点で回顧するものです。」(同展チラシより)

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出品作品

 

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訪れたのは、3月19日の夕方。天気は雨でしたが、そこは日曜日の百貨店、やはり満員かなと思って入場したら、目を疑うほどの閑散。見渡す限り(会場半分のスペース)に十名もいませんでしたから。
もっとも、その後しばらくして徐々に人が増え、三分入りくらいにはなりましたが、それにしてもちょっと少な過ぎる来場者数でした。

が、雰囲気のほうは逆に、かなり集中して鑑賞しておられる姿が目立ちました。客層としては、中高年のご婦人が過半数でしたが、三、四十代の男性の姿も割とあり、食い入るように見つめる姿がいくつか見られました。

奥村土牛、それほどマニアックな画だとは思っていませんでしたが、今日の会場の様子を見た限りでは、少数の熱心なファンに支えられているという、そんな一面がうかがえました。

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いわやん(京都)
 正直言って、馴染むのに時間がかかりました。一巡目は、これという手がかりが得られず、二順目にしてようやく、少し見えてきたという。もし、公募展なんかの中にまぎれていたら、見過ごしてしまっていたかもしれないというくらい・・・、私には持ち合わせていなかった姿勢の画でした。
 そんなふうにして、時間がかかりながらも何となく察っせられた奥村土牛の画についてお話させていただきます。

 画というのは、たいていの場合は、「らしく」描こうとするものだと思います。食べ物を描くなら美味しそうに、おぞましいものを描くなら、おぞましくと。必ずしも、美しいものを描かないにしても、本物に似せようとしたり、よりらしく描くというのが普通でしょう。表現手法は様々あるにしても、です。
 ところが、土牛という人は、自分の見えている範囲・程度を自分の技術の力量の範囲・程度で正確に丁寧に描くことに、最大の目標を置いていたようです。
 作品に一番共通して表現されているのは、自分にはここまでしか見えていない、ここまでしか描くことができませんという、そういう告白ではないかと、そんなふうに感じられたほどです。土牛という画家が、もっとも注意したのは、自分に見えていないことを見えているふりをして描いたり、あるいは、自分のものになっていない技術を借用して使うことではなかったでしょうか。
 たとえば、ある風景を描く場合、本当は、その風景の何かに心が動いて、それを見つめ、またそれを画にしようとするのだと思いますが、心が動いた部分だけを描いてもなかなか画にはなりません。空がポイントであるにしても、山並みをそれらしく描くほうがいいわけですし、実際にはその時ほとんど関心を払っていなかった樹々とか渓流とか、そんなものをきちんと描き込んで添えたほうが画らしくなる。主題の空も、そのほうがひきたって見えると、たいていはそのように考えがちだと思うのですね。
 ところが土牛の場合は、空以外は、まるで「素」なのです。決して、雑ではなくて、画面全体がきちんと仕上げられているのですが、主題以外は、度が過ぎるほど正直に、よく見てませんでしたというふうに描かれている。かっこよく省略したり、ごまかす方法はいくらでもありそうなのに、そういうハッタリを一切しないんです。ですから、一見すると、単に未熟ではないのかと、そう見なしてしまいがちになるのですが。
 こういうアプローチというのは、もう画の表現手法の範囲を越えていて、人間の生き様というか、道徳、宗教の姿勢といえるかもしれません。

 別の言い方をすれば、こういうことも出来ます。
 何気ない生活の営みや何の変哲もない物なんかでも、たとえば光線のあたり具合などで、瞬間、時を越えた一面があることを示してみたり、あるいはドラマチックな物語を垣間見せたりといったことが出来るわけですが、土牛の描き続けた画というのはいわばその正反対で、何気ない日常の空気、何の変哲もないという、その無さに正面から向かい合っている。わざわざモノを壊したり廃墟を描いたりといったことをしないで、何気「無い」、何の変哲も「無い」というようなところで「無」を見ている。もちろん、「無」はゼロのようでいて、ゼロではないということに気づいているからです。・・・わかりにくいですね。これは、すごくわかりにくい。見ている側は気づきにくいし、描く側にとってはこれほど地味なやり方もないでしょう。そういうことをやったのが土牛という画家ではなかったかと、今回、そんなふうに感じられたのです。

 近代以降、多くの優れた画家たちが、道半ばから、わざと崩したり雑に描いて見せたりと、苦心して(あるいはそれが「らしい」と感じて)、素朴な作風を取り入れていったように思いますが、土牛を見ていると、・・・胸がつまります。その点については、土牛こそ本物だという、そういう優越感よりも、土牛の歩んだ道のたいへんさというか、土牛の辛抱が重い。一番こたえたのは、そのような「姿勢」です。

ワンポイント
 もし会場を一巡しても、「なんかピンとこうへんな・・・」という場合には、入口近くにもう一度戻られることをお勧めします。そこには、会場の中でたぶん一番わかりやすい手がかりがあるからです。作家の肖像が、これほど効いている展覧会もなかったのではないかと。

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