No.138 Last Up Date 2000,7,08

会期 2000,5,13-7,09
休館 月曜日
料金 一般 800 学生 600

 



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山元春挙

 山元春挙(1871-1933)は、明治4年、現在の大津市膳所に生まれ、漢学などを学んだ後に野村文挙に師事して絵画の道に入り、後に森寛斎に就く。
 十代後半から頭角を現し、博覧会や共進会で受賞を重ね、竹内栖鳳や菊地芳文らとともに、次代の京都画壇を担う日本画家のひとりとして注目される。
 早くより写真に興味を持ち、写生を基礎とした雄大な風景画などに独自の作風を確立し、明治40年(1917)に帝室技芸員に、8年には帝国美術院会員に任命され、名実ともに京都画壇の重鎮の一人として活躍し、昭和3年(1928)の昭和天皇即位に際して、主基地方風俗歌屏風の制作に携わる。
 この展覧会では、近年、春挙の縁者より一括して寄贈された作品をはじめとする当館のすべての春挙作品と、国立近代美術館や近隣の美術館などの所蔵になる大作を中心に展示・公開し、昭和60年に当館で開催した回顧展を踏まえつつ、春挙の画業を振り返る。」(同展チラシより)

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出品作品


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訪れたのは、会期終了前日の土曜日の午後。
山元春挙といえば、日本近代絵画史上の大家の一人であるが、竹内栖鳳ほどの知名度があるわけではなし、どの程度の入場者か予想がつかなかったが、館内は、6分入りといったところ。
層としては、年配の夫婦連れが約三分の一、女性グループが約半数、男性は単独がパラパラ。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(2000,7,08)
 春挙については、当時は竹内栖鳳と並び称される大家だったということくらいしか予備知識を持ち合わせていませんでした。ですから、実は、観に行く予定はしていなかったのですが、先日、土田麦僊に関する記事を読んでいたところ、西欧の影響について、<さすがに栖鳳と春挙は、深くは惑わされなかった>というくだりがあって、ふと興味をもったというわけです。
 さて、展覧会を観ての感想ですが、春挙の絵の素晴らしさは音楽のようでした。旋律があり、調和があり、主題が実に見事に作品化されていたからです。
 ジャンル分けすれば、様式美ということになるのかもしれませんが、様式とは、たぶん本来は、ノウハウの塊だったのでしょう。どんなに優れた資質をもった画家でも、様式の習得なくして場当たりに的に絵を描くなら、おそらぐ生涯かかっても、ものにできる作品はごく僅かではないかと思います。絵に限らず、どんな分野においても、我流は決して効率の良い方法ではないですから(もちろん、それでも我流の道を選ぶ人はいて、ごくこぐ稀に独自の開拓をする人も現れるから世の中おもしろいのですが)。
 そして、様式にのっとると一口に言っても、使い手による差はおのずと生じてきます。春挙の様式の会得が図抜けていたと同時に、用い方にもひじょうな的確さがあったということでしょう。
 それにしても、「見てください」、「ほら、おもしろいアイデアでしょう」といった作品が近代以降どんどん増えていくわけですが、春挙の作品にはまったくそんなところがないのですね。作品のほうに客引きするようなところがほとんどない。ただ、こちらの目がひきつけられるわけです。ああ、きれいだとすっと目に映る。このことは、今のような時代にあっては、何と言うのでしょう。根本を問われるような思いがしました。
 そして、眺めていても、メッセージを解読せねばならないような、そういうこともなくて・・・。ただ、そこに一つの景色があると。その景色を絵にした画家の後姿がうかがえるだけで・・・。いい展覧会でした。、

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展覧会のスケッチ

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