No.161 Last Up Date 2000,8,14

境界上のイメージ
STILL/MOVING

京都国立近代美術館

会期 2000,8.8-9,24
休館
料金 一般 830 大高生450

 



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境界上のイメージ
現代オランダの写真、フィルム、ヴィデオ

オランダから発信される斬新な美術・映像表現は、1990年代初頭から軽やかな衝撃と共に私たちの注目を集め続けてきました。
知的で禁欲的なデ・スティール様式と冷徹なドイツ写真の伝統を継承していたはずのオランダの美術、映像表現が、なぜいま、私たちにとってこれほど新鮮で魅力的に見えるのでしょうか?
オランダの美術・映像表現の最前線の動向を紹介する今回の展覧会<STILL/MOVING>(静止と運動の境界)は、こうした率直な感動と好奇心から構想されました。
いま世界中の関係者が注目するオランダの美術・映像表現の活発な状況は、オランダに生まれた若い世代の美術家や写真家だけでなく、その自由な芸術表現の可能性を求めて、国外から集まってきた多方面の人材たちの果敢な挑戦によって生み出された成果といえます。
オランダは今や、ヨーロッパにおける若者文化、ポップ音楽、ファッション・メディア、そしてインターネット文化の消費・再生産の一大拠点でもあります。
こうした環境から生み出されるオランダの美術・映像表現は、ファッションとクラブカルチャーの融合、デジタル化されたイメージの編集・再構成、現実と仮想空間の中でのテクノロジー日常感覚の奇妙な調和、雑多な文化が衝突し混血するエネルギーなど、現代の私たちが直面する様々な問題を直裁に、そして極めて感覚的に表現しています。
かつて中継貿易で繁栄したオランダは、情報・人材の中継・交流によって、いま再び、世界の中で文化情報の中継・発信拠点としての重要な地政学的意義を獲得しつつあります。

現代オランダの美術・映像表現は、<風景><身体><アイデンティティ>という大きな三つの関心に向かっています。
それは干拓によって人間が創ったオランダという人工的な<風景>(都市環境への視線)、絶えざる価値観の変貌や病理に心理的・肉体的に怯える一般の人々の<身体>、旧植民地や周辺諸国から流入する雑多な文化の混血による<私が私であることを見失う不安>と言い換えることも出来ます。
オランダの作家たちの多くは、日常生活の中の単純な行為の一つを抽出し、その映像を誇張・反復し循環させることで、物語性と絵画性を獲得した驚くほど効果的な表現へと昇華しています。
彼らは静止映像と動くイメージの境界上で、また現実空間と仮想空間の狭間で、<見ること>と<記憶・記録すること>の意味を直截な身体感覚によって検証しています。
本展の会期中に上映されるオランダの映画監督が制作したドキュメンタリー・フィルムでは、過去・現在のオランダ人が日本に投影した解釈、その愛情と錯誤に満ちた視線も紹介されます。
またこの展覧会<STILL/MOVING>は、こうした美術家たちの映像表現を受け入れていくことで否応なく変容を迫られている<美術館>というシステムの現状と、将来の可能性と限界を考える試みでもあります。」(同展チラシより)

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出品作品


ほか

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訪れたのは、九月八日の午後三時頃。
館内は意外にも人影が多く、三分入りといったところ。
層としては、女子学生が約半数、そらから男子学生が二割くらい。あと女性、外国人・・・、中高年層は一割程度。平均年齢二十五歳以下だったかもしれない。
若い人は概ね、集中して鑑賞していた様子。少し年齢が上の層には、あまり立ち止らずに去ってゆく人も。

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いわやん(2000,9,08)
おもしろかったのは、自然の動物や昆虫の生態のフィルムを編集して、そこにビートのきいた音楽を重ねた作品。
はじめは・・・、動物のある行動の一場面を切り取って、スローモーションにしてみたり、はや回しにしてみたり、おもしろおかしく編集したって、そういうのはいわば、本当の自然ではなく、ジャンクフードのようなもので、そういうのに浸っていてもなあ・・・、とおやじっぽい道徳観が頭をもたげてきたのですが、
考えてみれば・・・、自然というのも、人間にとっては人間が観察した事実でしかなく、この作品の作者のような見方があれば、そういう自然も生まれるわけで、いや、すでにそういうものがあったからこそフィルムに収められたわけで、何も動物番組に描かれるものが自然の本当の姿というものではなく、また自分が山野を歩いて感じるものが正しいというわけでもない。
・・・サメやライオンは獲物に襲いかかるわけですが、そこには感情が認められなくて、やはり血も涙もない殺戮者の姿で、もちろん、それは生きていくために、食べなければいけないということがあるからですが、生きていくためにという論理は、寡占企業やマフィアだってそうですからね。フィルムであらためて確認されることは、善か悪かということではなく、そういう事実もあるのだということ。それなんですね。
作品の素材であるフィルムはたぶんテレビ番組や映画と思われましたが、編集者、編集意図によって、表現される印象はずいぶん違ったものになる。そして、それは表現の違いということだけでなく、そういう自然もあるというところで、その事実に気づいた時に、ちょっとこたえるものがありました。
ジャンクフードのような編集のビデオでかえって、自分の想像をはるかに越える自然の多様さを認識させられたわけですが、作者の気持ちは、そんなところにあるのではなく、人間の多様性・・・、俺たちの好きにやろせろ、というところにあるのかもしれません。そして、その多様性を、多面性と置き換えると・・・ぞっとします。

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