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いわやん(2000,10,31)
渡辺始興という画家について私はノーマークでした。今日、展覧会をみて、そのことが後悔されました。そのくらい興味深い絵師です。
どんな絵だったかというと、かなり上手な絵です。
肖像、仙人、歌仙などの人、花鳥、それから御所を上空から覗き込んだような図、どれをみてもおよそ不得手なものは見当たりません(竜虎だけが論外)。
上手といっても、狩野派などの伝統的な画風から、琳派的な画風、雪舟などの水墨画的な画風、それからのちの四条円山派のような写実的な画風などいろいろな上手があるわけですが、渡辺始興の場合は、画風としてもそれらを一通りこなしているように見えます。
ただ、写実的な画風だけが、渡辺始興の前に手がけた作家が見当たらないので、その部分は彼のパイオニアとしての功績が大だったということになるでしょうか。
まあ、素人が美術史的なことを言っても仕方がないので、素人らしく自分の言葉で語ると、
「青年の絵」なんですね。
技術は抜群で、しかもそれを余裕をもって操っているという点では円熟味さえ感じさせるほどなのですが、「澱(おり)」のようなものがないのですね。退廃的な情緒とか、憂いがないのです。別にそんなものなくったって、むしろないほうが健康的なようなものですが、つまり、健康的過ぎるのですね。
ユーモアはあるんですよ。それから気力は充実しているし、陽気が満ちている。繰り返しますが、感覚も腕も冴えている・・・、しかし、曖昧なもの、影、未練というようなものがなさすぎる。
彼が、たとえば四十代くらいで没した絵師だというのなら、そういう意味では話は簡単です。。
しかし、そうではありません。彼は七十歳過ぎまで存命でしたから。こんな作家は、ちょっと他に思い浮かびません。
渡辺始興については、ですから、この点がひとつ、好みの分かれるところになるかもしれません。画風には、人を選ぶようなアクの強さはないのですが、この陽るさに馴染めない人はいるかもしれません。
少し、具体例をあげましょうか。
たとえば、鶴の絵があります。吉祥のお目出度い絵です。彼は単なる吉祥の図にするには飽き足らず、そこに博物学的な深みを加味しました。つまり、本物の鶴を正確に描こうとしたというのです。
吉祥とはそもそも何んなのかとか、あるいは、そこに自分の思想やメッセージを織り込むというような、そういうのではないのです。
今回、渡辺始興に比較される作家として、レオナルド・ダ・ビンチを私は思い浮かべたのですが、ダ・ビンチはそういうことをものすごくやりましたからね。教会からの注文の絵に、独自の宗教観にもとづく意味を多重に織り込みましたから。
ダ・ビンチというと、解剖図やら発明のスケッチなどがあって、ひじょうに合理的な精神の持ち主であったように思われがちですが、確かにそういう一面もあったのですが、一方でカルト色もかなり強い。
渡辺始興は、いわばダ・ビンチからカルト色を取り去ったような感じの絵師なんですね。
仙人を描けば、憎めないおじいさんと描いてしまうありさまで、そこには人智の及ばない畏怖されるような怪異や深遠さがひじょうに希薄なのです。
強いて言えば、三十六歌仙図だけが辛辣に不気味に描かれていますが、これは模写だそうですし、それに伝統的な権威に対してのみ、彼が批判的な気分や得たいの知れない不気味さを感じていたからだと解釈されます。
例によって、ついつい批判的なコメントからはいってしまいましたが、絵のうまさはそれはたいしたものです。
単に細部まで几帳面に描き込むというような、そんなものではなく、さりとて才にまかせて筆を奔放に走らせるという気ままなものでもなく、簡潔かつ平明に描かれているのですね。つまり、絵のポイントを十二分に把握した上で、余裕をもって仕上げられているのです。
野球のピッチングにたとえれば、球も速い(写実もすばらしい)けれど、緩急のつけかた、ボールの使い方などの配球の妙(省略と強調)がまた素晴らしい。それも冷たい感じではなくて、愛嬌たっぷりなんです。・・・ただ、悲壮感や苦労といったものがものがない。
とくに、植物はよく見てます。かなり写生をやっていたようです。
はじめのほうで、竜虎だけは論外といいましたが、ああいう写生が出来ないもの、得体の知れないものについては、彼はまったく興味がなかったようです。・・・もしかしたら、カルト的なものに興味がないというより、嫌悪して排除していたのかもしれませんが。
生い立ちなど資料を持ち合わせていないので、このような印象話に終始してしまいましたが、最後にもうひとつ付け加えると、このようなことも言えるかと思います。
絵を描く才に恵まれ、絵を学ぶ機会に恵まれ、また何よりも絵を見てもらえる時代に恵まれたと。
ゴッホなどは、生涯、絵を見てもらえる運が希薄だった人ですが、渡辺始興の場合は、同時代に琳派などの同業者や、公家というコレクターの有力者たちにまで認められていたそうですから。これはやはり大きいでしょう。
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