No.177 Last Up Date 2000,11,14

没後200年特別展覧会
若冲

京都国立博物館

会期 2000,10,24-11,26
休館 :月曜日
料金 大人830

 



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没後200年特別展覧会
若冲

 江戸時代の京都は、尾形光琳、池大雅、与謝蕪村、円山応挙など実に数多くの才能ある画家を輩出しました。そのなかにあって、伊藤若冲のひときわ個性的な作品は、現代においても人々の注目をひきつけて離しません。
 記念すべき西暦2000年は、はからずもこの若冲が85年の生涯を閉じてちょうど200年目に当たります。京都国立博物館は、この機会を得て、若冲の全画業を偲ぶ大回顧展を開催することになりました。
 京都の町なか、錦小路高倉の青物問屋の主人であった若冲が絵画を志したのは30歳の頃。以後半世紀に及ぶ画業は、まさしく前人未踏のものでありました。と同時に、その作品群は価値観の目まぐるしく変わる現代においても色あせることなく、一層その輝きを増しています。
 国内外にある若冲の代表作、有名作、新発見および再発見の作品を網羅した展覧会は、今後望むべくもなく、この機会に是非ともご鑑賞ください。」(同展チラシより)

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出品作品


ほか

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 訪れたのは、11月14日、2時30頃。入口に行列が出来ており、思わず引き返そうかと思ってしまいましたが、ともかくチケットだけは買っておこう考え直して並ぼうとしたところ、その行列は団体さんで、何かの事情で待たされていたのでした。あやうく錯覚するところでした。 
 しかし、そうはいっても館内はほぼ満員。平日でこれですから、休日だと少なくとも11時〜2時は避けたほうがよいでしょう。
 観客の層としては、中高年の夫人グループが約三分の一。若い女性が約三分の一。あとはカップル、夫婦、男性、外国人等々。若い女性が多かったのは、どこかの学校がクラス単位で来ていたのかもしれません。
 雰囲気としては、若冲という作家のアウトラインを知って見に来ている人が多かったように思われました。テレビや雑誌でさかんに取り上げられていたようですが、そういうので興味をもった方が多いのでしょう。
 ちなみに、入口近くの展示に人だかりが出来るというのは今回も同じで、要領としては、2時〜3時くらいに入場し、はじめの2、3室はとばして(後回しにして)、中ほどから鑑賞をはじめるのが良いかと思います。
 それから、 鑑賞時間をいつもより多くみつもっておいたほうがよいでしょう。 作品一点一点の密度が濃い上に、展示が数が多いのです。ふつうの展覧会の少なくとも1.5倍くらいの時間を想定されたほうがよいでしょう。
 常設展にまで足をのばすのは、今回はちょっときついと思います。(お弁当かおやつで、一息入れるくらいでないと・・・)

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ご感想などお寄せください。

ハロージョグ
http://user2.allnet.ne.jp/hello-jog/source/jakuchu.htm

 京都でしか開催しないと言われ、帰路 途中下車をして11月14日(火)若冲の展覧会に出かけた。 驚いた! 『心が遊んでいる』 が第一印象です。大胆だし、ユニークだし、フリーだし、面白いし、疲れるほど絵を、図を堪能した。 紅葉の京都・お薦めのスポットは、国立博物館ですね。 博物館のつけたタイトル 『こんな絵かきが日本にいた』 に、「山田くん、座布団一枚!」

 

いわやん(2000,11,14)
今回は失敗談から。
 近頃、評判の若冲ということで、気合入れて観はじめたのですね。スコープしっかり用意して。細大漏らさずという感じで・・・
 ところが、これがよくありませんでした。
 何故なら、若冲の絵は「緻密」な上に「濃い(コントラストが強い)」んですね、それを凝視したもんですから、ちょっと胸につかえてしまったのです。
 最初の感想は、こうです。
 若冲という作家には、どうやら「空気」が見えていないようだ。腕が立つ上に手の込んだ仕事をしているが、息がつまる。構図はしっかり工夫されていて、「間」もちゃんとつくられているんだけれど、隅々までルーペで拡大したみたいに緻密に濃く書き込まれていて、見ていて疲れると。そんな風に思ったのです。
 頭の中には、この前見てきたばかりの渡辺始興の絵が比較対照としてありました。絵としては、渡辺始興のほうが上だなと。
 たとえていえば、若冲は全部「視る」という視線なんです。「聴く」のと「聞こえる」というのは別だといいますが、「視る」のと「見える」というのもやはり別で、若冲は隅から隅まで「視」過ぎだと思えたのです。

 ところがね、館内を一巡するような頃になると、抵抗、だんだん感じなくなってきて、
 晩年になるにつれて、風とおしの良い作風になってきたというのも一つはあるのですが、どうやらこっちの見方も変わってきたのですね。
 二巡目に入ると、はじめにあれだけ「濃い」と思えたのが、ちょうよいくらいに見えてきたのです。
 何故か。
 自分自身の視線が、疲れてきて、「視る」から「見る」に変わってきたんです。たぶん。
 そうするとね、ちょうど良いのですね。具合が。

 で、気づいたわけです。襖絵や屏風なんかは特にそうですが、掛け軸にしたって、まあ何回も掛けてみるわけですね。そうすると、「視る」より「見る」ほうがずっと多くなるわけです。見慣れるということもあるし。
 そうすると、「濃い」めくらいがちょうどいいということになるのではないかと。

 果たして若冲がそんなことを計算していたかどうかは知りませんが、そういうね、一面に、今回気づいたという次第です。

 あと、それともう一つ意識されたことは、
 若冲という作家、もしかすると、けっこう横着者だったかもしれないな、ということです。
 多くの作品が実に緻密に描かれていて、そこだけに注目すると、生真面目な作家なのかと思いがちですが、
どうもね、ふだんは「練習」のつもりで描いていたような気がしないでもないのです。
 スポーツでいうと、フォームというのがあるじゃないですか。
 その一試合に勝つことだけを考えれば、不細工でも何でもがむしゃらにやって、おまけに奇策なんかも織り交ぜたほうが点数稼げそうなものなんだけれど、でも、一流になるにはそんなことやっててはダメで、じれったい気がしても、しっかりフォーム作っていかなくちゃいけないというような。
 若冲の絵を観ていて、そういう感じも受けたのです。当人は、ほとんどフォーム作りやってる感覚で、多くの絵を描いていたんじゃないかと。
 それはものすごい一生懸命な作業で、手抜きというのとは違うんですが、でも、本勝負ではないような、そういう絵があまりに多い気がしました。・・・本当に勝負している作品はかなり少ないですね。たぶん。
 誇張していえば、
 部分を観ればすごいんだけれど、絵全体としては、部分の完成度に比べれば、むしろツメが甘いというか、構図を工夫しているという以上に何もないような・・・。
 そういう作風といえば、そうかもしれませんが。
 そうですね、それが若冲なのでしょうね。

 もっとも、後期の文人画的な、洒脱・軽妙な作品群は、これまで話してきたこととは異質で(「濃い」めですが)、それらの作品群は十分いい感じです。足りない点を探すより、楽しさを数えたくなりました。

 余談ですが、今回の鑑賞時間二時間。時間切れ(四時半で閉館)でなければ、もう半時くらいは観ていたかった。時間的にね、十分余裕をもって、体調の良いときにお出かけください。見ごたえは、かなりのものです。

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展覧会のスケッチ

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