No.195 Last Up Date 2001,4,25

注意:大丸梅田店で開催されるものは、京都国立近代美術館で
開催されたものの巡回展ではないようですが、便宜上、
当HPでは、このページで一括して案内させていただきます。

ガラス芸術アール・デコの夢
ルネ・ラリック展

大丸梅田店

会期 2001,4,25-5,06
休館
料金 一般800円

 



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ガラス芸術アール・デコの華 
『ルネ・ラリック展』

 ルネ・ラリック(仏・1860-1945)がガラスを手掛けるようになったのは1908年、48歳の時でした。すでに宝飾デザイナーとして名声を博し、1900年のパリ万博でも高い評価を受けていた彼に、コティ社が香水瓶のラベルデザインを依頼したことから始まります。1920年代は19 世紀末から続いたアール・ヌーヴォー様式が衰退し、簡略化されたモダンなアール・デコが新たなムーブメントとして花開いたころ。時代の申し子のように斬新な発想でガラス素材をあらゆる分野に拡張し、3000種以上のデザインを創作します。製作面においても従来の手工業的な1点制作主義から、工場での量産システムを切り開き、芸術と産業を結びつけ、デザインの大衆化に大きな足跡を残しました。 青年期に学んだ彫刻・彫塑の知識、宝飾品デザイナーとして確立した優美な感性、そして一貫して愛し続けた自然美、これらが独特の美の世界を作り上げ、「ガラスに生命を吹き込んだ作家」として称賛されます。そして1925年の国際博覧会(通称、アール・デコ展)ではガラス作家としても不動の地位をかためることになりました。 本展では、ラリックの創作テーマである自然の生命の輝き・風・光などをモチーフにした花瓶約100点を中心に、装飾人体像、香水瓶、化粧小物、装身具など200余点を一同に展示いたします。」(大丸梅田店のHPより)

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モダン・ジュエリーの先駆者
ガラス工芸の巨匠
アール・ヌーヴォーからアール・デコへ

ルネ・ラリック1860-1945展

 日本においてルネ・ラリックの名は、主にガラス工芸作品、特に優美な香水瓶の制作と結びついて知られています。しかし彼は19世紀末のいわゆるアール・ヌーヴォー時代に、従来の因習にとらわれない素材とモチーフの扱いで一世を風靡した宝飾デザイナーでもありました。
 プラチナやダイヤモンドだけでなく、金や七宝細工、獣角やガラスそして半希石を巧みに利用し、女性や動植物をテーマに創り上げられた独創的なジュエリーの数々は現在、『モダン・ジュエリー』の起源と見なされています。
 20世紀に入り、ラリックは更に当初ジュエリーの一素材として用いられていたガラスそのものに着目し、数々の素晴らしい作品を生み出して行きます。
 彼はその際、香水瓶や花瓶のみならず、オブジェや宝飾品、建築といった領域にまでガラスの可能性を広げ、型吹き成形やシール・ペルデュといった技法を研究・開発してガラス作品の大量生産への道をも切り開きました。このようなラリックに対する仕事の評価は1925年にパリで開催された国際博覧会、通称アール・デコ博で決定的となります。
 リスボンのグルベンキアン美術館やオルセー美術館、パリ装飾美術館など国内外から集められた、デザイン画を含む約400点の作品で構成される本展は、芸術と産業の融合という近代デザイン最大のテーマをめぐって、ジュエリー・ガラスの両分野に稀有な足跡を残したラリックの偉業を総覧する、またとない機会となることでしょう。」(京都国立近代美術館のチラシより)

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出品作品

 

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京都国立近代美術館展
訪れたのは、3月1日の夕方。天気予報では雨という、条件としてはよくない日でしたが、会場は7、8分入りの盛況ぶり。かなり人気の高い企画であることが確認されました。
これで会場がもしデパートであったなら、おそらくパニックに近い大混雑となっていたことでしょう。

層としては、中高年の女性が三割強、若い女性が三割強、それから年配の男性、若い男性、カップルがパラパラといったところ。
ただ、身なりをみても、絵画展とは明らかに違う層が約半数で、このあたりも興味深いところです。
いわゆる近代美術以外の企画にも潜在的なニーズは大きいわけですね。現代アートの企画では、集客力が近代美術よりもさらに半減する場合が多いようなので、本展のような工芸品の企画は、大いに注目されます。

雰囲気としては、ひじょうに熱いまなざし、真剣なまなざしがそそがれており、感激に加えてためいきさえもれていました。
男性客の場合も、どうも宝飾ないし美術工芸の業者か制作者とおぼしき人が多く、ほとんどコワイくらいの顔つきで鑑賞されていたのが印象的でした。

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ご感想などお寄せください。

いわやん(2001,3,05)京都国立近代美術館展
 とても感動した展覧会だったのですが、わたしの観点は、アーティストとしてのラリックというよりも、すぐれた工芸にあったようで、それでちょっと感想を書くのがためらわれました。
 まず、そのことをお断りしたうえで、感じたことをお話させていただきます。刺激的は、とてもありました。

 たとえば、我々は情報社会といわれる時代に生きているわけですが、気分的には、どちらかというと、人間なんて中身はあんまりかわっていないと、そういう感じをもってる人が多いのではないでしょうか。むしろ、情報社会だとかIT機器だとか、そういうのについていくのが大変だというように・・・。
 ところが、今回の展覧会で思われたことは、

「思いって、伝えるより、伝わるのが素敵じゃない」

「思いって、どう表すかじゃなくて、こめるんだよ」

 そんな声が聞こえてきたような気がしたのです。
 芸術は表現だと、疑いもしませんでしたが、それって、情報時代の感覚じゃないかって、目を覚まされた気がしたのです。

 伝えようとせずに、伝わることを企図する。
 信号を物質や電気や光によって伝えるなどというのは、ぜんぶ伝えようとすることですよね。そうじゃなくて、量子力学のトンネル効果がそうなのかどうか知りませんが、「伝わる」世界もあるのかもしれません。で、それは銅電線を光ケーブルに置き換えるような進化じゃなくて、質的に異なる突然変異のような進化のような気がします。
 伝えよう、表そうと意識し努力する、その延長線上には、「伝わる」世界はないのではないか。急がばまわれ、などといいますが、工芸には、何かそのような愚者の智のような、凄みがあるように感じられたのです。
 展覧会の感想にはふさわしくないかもしれませんが、ラリックの作品を単なる装飾とみては、惜しい気がします。
 そう、装飾という言葉自体、今日では無用のもののように思われていますが、それはたぶん量産品の装飾のコピーを見慣れたせいであって(*装飾を量産化した張本人の一人はラリックでしたが)、元来の装飾というものは、もっと霊的な力があったのではないか。そんな気さえしました。
 霊的というとカルトっぽくなるかもしれませんが、こころを形にすれば・・・といってもいいでしょう。草花や虫や鳥や妖精や恋人達は、こころの象徴としての意味合いも強くもっているわけです。宝石や貴金属が呪術的な力をもったものとして古来たいせつにされてきたことをそこに重ねて思うと、やはり、その世界は底知れぬところにつづいている気がします。
 こういっては何ですが、個人のイメージを主体にした活動とは、同列には扱えませんね。ラリックは、たとえば宝石を使うように、この世界のパワーを秘めたものをふんだんに集めて料理してるんですから。自分のオリジナル(発明)だなんていうところでは、やっていない。宝石の力を使い、虫なら虫の神秘を使い、そしてそれを丹念な製作過程で、さらに凝縮し昇華させる・・・。むろん、すべての試みが成功しているわけではないのですが、そのようなアプローチ自体がとても新鮮で、また、未来へのヒントにもなるものではないかと思われたのです。
ぜひ。

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展覧会のスケッチ

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ルネ・ラリック
1860-1945展

京都国立近代美術館

会期 2001,2,10-4,15
休館 月曜日
料金 一般1300円
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