ご感想などお寄せください。
いわやん(2001,2,26)
やわらかな土質で、たんせいな姿の逸品がひとつ、ふたつ。
やわらかな土質で、まあるくデザインされた逸品がひとつ、ふたつ。
楽焼とみまごう、赤楽の逸品がひとつ、ふたつ。
しかし、とりわけ注目されたのは、
やわらかな土質で、とりとめのない姿のいくつかの器。
解説によると、秀吉の朝鮮侵略で萩に連れてこられた陶工たちが、まもなく当時の日本で流行しはじめた織部の影響をうけたとありましたが、わたしのみるところ、織部の影響は直接的なものではないようでした。
指でえくぼをつくるとか、歪ませるとか、そういうのとはちょっと違うんですね。もっと全体的なんです。ワンポイントでアクセントをつけるという崩し方ではなく、ぜんたいに調子をくずしてる。まあ、ふつうにみれば、できそこないです。
ところがね、そのできそこないを用いる場面を想像してみたのですね。端整な茶室の空間で、流れるようなお手前で、その器にお茶が立てられ、そして自分にすすめられる・・・と。
そしたらね、たぶん、薄くあわだったお茶を目にしたときに、あの器は池に見えるんじゃないかと思えたのです。
口元にはこぶとき、しまりのないようなその形は、自然につらなる広さと感じられるのではないかと思えてきたのです。
朝鮮からきた陶工たちが織部をみて、日本人の好みを知って何を考えたのか定かではありませんが、今回の感想としては、織部の形に倣ったというよりは、わびさびの本質に対して、ひとつの解答を示したのではないかという気がしました。
李朝や高麗などからうかがえる素朴さ、闊達さでもなければ、儒教的な謹厳質実でもなく、田園を愛する貴族趣味というものでもない。やはり、日本の、利休のお茶を念頭においた創作であったと思われるのですが、その寄せ方が尋常ではない。
たとたどしく真似るというのではなくて、そういう精神(利休の茶の)を器にするなら、こうなると。そう、いわんばかりのアグレッシヴな造形なんですね。利休の茶に対して、これでいいでしょうかと、おずおずとおうかがいをたてるのではなくて、対等の姿勢で、ボールを投げ返している。そんな緊張した空気を感じました。
器はね、なんにもないんですよ。そうじなんかしている気のいいおじいちゃんのような姿なんですが、そういうものを作って出す、腹の括り方というのか、自信ですよね。そこがはかりしれないところがある・・・。
以上は、江戸時代までの萩焼の感想です。
本展には、それ以降の、現代のものまで一堂に展示されていましたが、あとはとくに記すことはありません。 置物にちょっと違う文化(京都圏とは)を感じたことと、三輪和彦という名前をメモしたことくらいです。
大丸京都店での開催は、明日までですが、もし巡回展があるなら、萩焼をまだご存知ない方なら、おすすめです。
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