No.198 Last Up Date 2001,2,26

伝統と革新
萩焼400年展

大丸京都店

会期 2001,2,22-2,27
休館 会期中無休
料金 一般700円

 



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伝統と革新

萩焼400年展

 『一楽・ニ萩・三唐津』といわれ、お茶の世界で高く評価される萩焼。16世紀末の文禄・慶長の役(1592,1597-8)、後に”やきもの戦争”といわれたこの朝鮮出兵の際、各地の諸大名は競って陶工を招致し、諸窯を開きました。萩焼もそのひとつであり、藩主毛利氏が慶長九年(1604)に御用窯として創業したのがはじまりです。
 窯場は松本(現・萩市椿東)、のちに深川村(現・長門市深川三ノ瀬)に開かれ、それらは今も日本工芸会正会員として活躍中の坂家、田原家、新庄家、坂倉家、坂田家など、萩焼を代表する窯元として受け継がれてきています。
 本展は、2000年秋にフランス・パリ日本文化会館に於いて、約二ヶ月間開催された展覧会の帰国展として開催いたします。パリで高い評価を受けた茶陶はもちろんのこと、皿、鉢、置物など、あまり知られることのなかった多彩な器形の作品もご覧いただきます。
 さらには、前衛的なオブジェなど、近世、近代、現代と大きく三分し、器のスタイルの違いに焦点をあててご紹介。バリエーション豊かな名品100余点を通して、萩焼400年の歴史を振り返るものです。

近世〜近代〜現代、萩焼400年の歴史
 江戸時代に朝鮮半島から渡来した陶工たちは、その初期には李朝色の強い器物をつくっていましたが、やがて当時流行した和風スタイルを取り入れはじめ、茶陶の場合は織部好みの造形が江戸前期の主流となります。その後、素直な碗形の茶碗が主流になり、江戸後期になると唐人筒形など特殊な形の流行が見られるようになります。
 明治期以降、萩焼の近代は、廃藩置県による御用窯制度の崩壊、瀬戸や有田における良質磁器の大量生産体制の確立などの影響で、苦難の時代を迎えます。この時期の作品は大部分が茶陶であり、造形と装飾の二つにおける個性的表現への傾向が見られます。
 そして現代。第二次世界大戦後、三輪休雪や吉賀大眉の先駆的活動によって、萩焼にあらたな時代が導き出されます。創作の分野も茶陶にとどまらず、多彩な広がりを持つようになります。作家たちも様々な創作活動に呼応して新たな造形を創り出し、萩焼の表現はますます豊かなものになってきました。」(同展チラシより)

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出品作品

ほか

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 訪れたのは、2月26日の夕方。平日の夕方という比較的条件のわるい時間帯だったが、会場内は六、七分入りと、意外ににぎわっていました。
 層としては、中高年の女性が約半数、それに若い女性、年配の夫婦、男性、若い男性といったところ。
 雰囲気は、一見とくにかわったところはなかったのですが、鑑賞しはじめて、ちょっと気づいたことがありました。流れがね、ちょっとへんなのです。
 通常の絵画展なら、なんとなく人の流れがあるものですが、今回は、バラバラなんですね。じいっと立ち止まってるひと、これはという作品にダイレクトに向かっていくひと、そういう、意志のはっきりした鑑賞態度が多かったように思われました。

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いわやん(2001,2,26)
 やわらかな土質で、たんせいな姿の逸品がひとつ、ふたつ。
 やわらかな土質で、まあるくデザインされた逸品がひとつ、ふたつ。
 楽焼とみまごう、赤楽の逸品がひとつ、ふたつ。

 しかし、とりわけ注目されたのは、
 やわらかな土質で、とりとめのない姿のいくつかの器。
 解説によると、秀吉の朝鮮侵略で萩に連れてこられた陶工たちが、まもなく当時の日本で流行しはじめた織部の影響をうけたとありましたが、わたしのみるところ、織部の影響は直接的なものではないようでした。
 指でえくぼをつくるとか、歪ませるとか、そういうのとはちょっと違うんですね。もっと全体的なんです。ワンポイントでアクセントをつけるという崩し方ではなく、ぜんたいに調子をくずしてる。まあ、ふつうにみれば、できそこないです。
 ところがね、そのできそこないを用いる場面を想像してみたのですね。端整な茶室の空間で、流れるようなお手前で、その器にお茶が立てられ、そして自分にすすめられる・・・と。
 そしたらね、たぶん、薄くあわだったお茶を目にしたときに、あの器は池に見えるんじゃないかと思えたのです。
 口元にはこぶとき、しまりのないようなその形は、自然につらなる広さと感じられるのではないかと思えてきたのです。

 朝鮮からきた陶工たちが織部をみて、日本人の好みを知って何を考えたのか定かではありませんが、今回の感想としては、織部の形に倣ったというよりは、わびさびの本質に対して、ひとつの解答を示したのではないかという気がしました。
 李朝や高麗などからうかがえる素朴さ、闊達さでもなければ、儒教的な謹厳質実でもなく、田園を愛する貴族趣味というものでもない。やはり、日本の、利休のお茶を念頭においた創作であったと思われるのですが、その寄せ方が尋常ではない。
 たとたどしく真似るというのではなくて、そういう精神(利休の茶の)を器にするなら、こうなると。そう、いわんばかりのアグレッシヴな造形なんですね。利休の茶に対して、これでいいでしょうかと、おずおずとおうかがいをたてるのではなくて、対等の姿勢で、ボールを投げ返している。そんな緊張した空気を感じました。
 器はね、なんにもないんですよ。そうじなんかしている気のいいおじいちゃんのような姿なんですが、そういうものを作って出す、腹の括り方というのか、自信ですよね。そこがはかりしれないところがある・・・。

 以上は、江戸時代までの萩焼の感想です。
 本展には、それ以降の、現代のものまで一堂に展示されていましたが、あとはとくに記すことはありません。 置物にちょっと違う文化(京都圏とは)を感じたことと、三輪和彦という名前をメモしたことくらいです。
 大丸京都店での開催は、明日までですが、もし巡回展があるなら、萩焼をまだご存知ない方なら、おすすめです。

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展覧会のスケッチ

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