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いわやん(2006,6,07)
本展の前に見た同好会の展覧会との差がすごく印象的でした。常設展でこれほど感銘を受けたことはなかったかもしれません。
同好会の展覧会もよかったのです。日展なんかですと、義務的に描いたような作品がままあって鼻につくのですが、そこでは楽しさがあふれていました。
しかし、常設展の作品は、同好会とは次元の違うものでした。同好会の作品の中にも上手い部分はあったのですが、こちらでは凄いという感じ。
たとえるなら、そうですね。日本建築の大工さんとか。ビシッとホゾを組み合わせるじゃないですか。手作りなんていう甘さなど微塵もない。完璧な平面をつくるし、直角をつくる。それは幾何学的に完全という以上に、建築物として、建具としてベストに仕上げられる。独創性などというのは、そういう技術の上にあるわけです。
絵画には、そのような技術は必須ではないかもしれません。理屈の上ではたぶんそうです。実際、近現代名画の中には、幼児が描いたような作品もあります。あるいは、書きなぐったような、落書きしたような、こわしたような表現すらある。大事なのは、技術より感性だ! と。あたかも、技術を磨く努力などすると、感性を磨くことがおろそかになるというような、そんな考え方が大手をふって歩いているのが現代ではないでしょうか。わたしもそんなひとりでした。
が、残念ながらそれは誤った考えのようでした。
同好会の絵は、それだけ見ていればいい絵なんです。家に飾っておけば、みんなが褒めてくれるでしょう。べつにお世辞ではなく、本当にうらやましそうに。わたしもこんな風に絵が描けたらなあ、とか。
でも、競争力がないんです。
美術においては、売れる売れないは二の次の問題であると思われる方が多いかもしれません。ゴッホのように生涯まともに売れた作品が皆無だったという例もあります。わたしも、ですから商業的な成功は、作品の美術的な価値とは別個に考えたほうがいいと思っていました。
しかし、いい絵なのに売れないというケースはむしろ例外的、極少の話なのかもしれないと今回、思い直しました。草レースを圧倒できる力があれば、たぶん、そこそこには売れるのです。
わたしは、たとえば障害者の方の作品が好きですし高く評価もしてきましたが、今回の常設展の中にそれらの作品が並べばどうなるか、ちょっと想像して、かなしい氣分になりました。おそらく色あせてみえるのではないかと思えたのです。
彼らの作品の多くには、競争力が乏しい。いいところはいっぱいありますよ。本質的には、どんな大作家の名画と比べても優劣はつけ難い。しかし、並べると、たぶん負ける。
もちろん、競争力があっても、その作家独自の深みがなければ、それはただのキレイな絵に過ぎなくなるわけですが、でも、食っていける程度には売れる。プロの作品として通用する。人を感動させなくとも、認めさせる力はある・・・という感じでしょうか。
本展は、「線」に焦点をあてた展覧会であり、「線」とは、伝統的に多くの画家が絵の最重要な要素として氣を配ってきたところであって、したがって、本展では特に技術が冴えた作品が集められています。
その技術の冴えの部分を無視すれば、それほどおもしろい作品はないと、そういう感想になるかもしれませんが、それは間違いではありませんが、場違いな見方だと思います。
本展では、技の冴えを賞味すべきですし、技を磨くということで培われる競争力というものを考えるのに良い機会にもなると思います。
美術に、競争という言葉は似つかわしくないように感じる人が多いと思いますが、人のやることには、そう違いはないのでしょう。見物客は、勝負を期待する。優劣をつけたがる。お金は、たぶんそういう感覚につながってます。
広場で多くの人に見られようと思わなければ、べつに競争力など必要ありませんが、しかし、家族やら友達やらのローカルな関係を越えて、広く世間に自分の作品を見てもらおうと思えば、競争を覚悟せねばならない。ある程度以上、勝ち抜かなければならない。美術も例外ではあり得ないのです。
そして、
強い競争力は、美術にとっても満更、余計なものではなく、それはそれで絵の陰影を濃くさせている・・・と、今回、そう思えました。
ああ、やっと最後になって、自分の氣持ちを表す言葉が見つかりました。同好会の絵に比べて、本展の作品は、洗練されていながら、陰影が濃い!
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